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大神 惟基(おおが これもと、生没年未詳)は、平安時代中期または後期の豊後国(現在の大分県)の武将。豊後大神氏の祖と伝えられる人物である。 == 出生伝説 == 「平家物語」や「源平盛衰記」等にも記されている、祖母山大明神の神体である蛇との蛇神婚伝説で殊に有名である。 豊後国の山里に住んでいた娘(「平家物語」では名が記されていないが、「源平盛衰記」では塩田大太夫の娘、「九州治乱記」では藤原仲平の娘、「大神氏系図」では藤原伊周の娘とする。)のもとに、身元の知れぬ男が毎夜通ってきて、娘は子供を身ごもってしまった。母に唆されて娘が男の狩衣に糸を通した針を刺し、その後を付けると、男は祖母山の麓の岩穴へと入っていく。娘が姿を見せるように請うと、男はついに大蛇の本身を現す。そして、狩衣に刺したと思った針は、大蛇の喉元に刺さっており、大蛇は、生まれてくる子供は男児で、武芸で九州二島に並ぶ者はないであろうと告げ、息絶える。 やがて生まれた子は、大蛇が言うとおりの男児で、祖父から名を取って大太と名付けられた。成長が早く7歳で元服し、手足があかぎれでひび割れていたため「あかがり大太」と呼ばれたという。これが後の大神惟基である。 大分県竹田市の穴森神社には、この大蛇が住んでいたと伝えられる岩穴がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大神惟基」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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