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大竹まこと : ミニ英和和英辞書
大竹まこと[おおたけ まこと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 

大竹まこと : ウィキペディア日本語版
大竹まこと[おおたけ まこと]

大竹 まこと(おおたけ まこと、1949年5月22日大竹まことの異色の料理本がついに電子化! - PRTIMES企業リリース 2014年11月6日 朝日新聞〕 - )は、日本のお笑いタレント俳優ラジオパーソナリティ斉木しげるきたろうの3人で構成するシティボーイズの一員〔日本コロムビア シティボーイズ 日本コロムビア〕。本名、大竹 真(読み同じ)。昭和60年頃の一時期は、ソロ活動のみ「常滑川まこと」名義を使用していた。
東京都出身。ASH&Dコーポレーション所属。東京大学教育学部附属中学校・高等学校(現・東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業〔葛飾区議会議員 中村けいこ 公式サイト より。〕。大竹オサム双子の弟。
== 来歴・人物 ==
眼鏡とヒゲが特徴的。趣味は料理ゴルフ〔『こんな料理で男はまいる。』(角川書店)などでの著者紹介より。〕。高校生の頃は、TBSラジオの番組『パックインミュージック』のパーソナリティだった野沢那智白石冬美に憧れ、DJになりたかったと言う〔週刊文春 2004年3月4日号『阿川佐和子のこの人に会いたい』第524回(158-162ページ)〕。

1971年秋、通っていた劇団「俳優小劇場」の養成所が入所して間もなく養成所の幹部の間で内紛があったため、直談判の結果、費用を返金してもらう。その仲間が集まり、返金された金を元に劇団「表現劇場」を結成。この時の仲間に、のちにシティボーイズを結成するきたろう斉木しげるの2人と俳優の風間杜夫が在籍〔。1979年、きたろうと斉木、大竹の3人からなる芝居ユニット「シティボーイズ」を結成。〔。劇団時代はアルバイトなどをせず、女性に経済的な援助を受けるヒモ生活を送る〔週刊文春 2001年7月5日号 55ページの記事より。〕。
新進気鋭の役者としてテレビの露出が増えていく風間の芝居を鼻で笑って腐していたが、ある日、手持ちの金が無く同居の女性に金銭を要求したところ、財布から500円玉を手渡され、全く収入の無い現状を認識して狼狽。ある公開イベントでプログラムを勝手に書き換え、何回かあるプログラムの合間にシティボーイズのコントを差し込み、これが業界関係者の目にとまり芝居批評の記事になる。タレント業として芸能事務所「人力舎」と契約、初起用にクイズ番組の司会を受け持つが、番組進行中取り乱し、昏倒。放送媒体においては、シニカルなキャラクターから一転して、憤激して暴力と罵詈雑言で暴れるというタレントとして認知され、テレビ局から出入り禁止とされるほどの破壊的なキャラクターであった。ピンで活動する場合には常滑川 まことを名乗ることも多かった〔。

1980年代初頭、上岡龍太郎が「東京にオモロイ奴が居る」との噂を聞きつけ、大竹を関西の番組に呼んだが、大竹は萎縮してしまって何もできないまま東京に戻る。これで二度と関西から声はかからないだろうと恥じ入っていたが、再び上岡が大竹にオファー、「何しても、ええ(良い)んやで。好きなようにやり(しなさい)」とアドバイスを受けて腹をくくった大竹は罵詈雑言、乱暴狼藉を働く。結果、上岡もひっくり返って笑う程の爆笑を取り、近畿地区に足がかりを築く。上岡に対しては「師と仰ぐ事すら失礼にあたる」と尊敬の念をあらわにしている〔『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』(角川書店)62-70ページより。〕

文化放送の『大竹まこと ゴールデンラジオ!』では、フリートークで昔のエピソードをたびたびに話すが、世間的には当時のイメージが強く、いまだに恐いと思われることが多い〔2008年12月26日放送『大竹まこと ゴールデンラジオ!』より〕。
若手お笑い芸人への造詣が深く、朝日放送M-1グランプリ』『ABCお笑い新人グランプリ』、関西テレビR-1ぐらんぷり』などの賞レースで審査員を務めていた。なお、弟子に漫談家のユリオカ超特Qがいる〔。
また、『仮面ライダー』の着ぐるみに造詣が深い〔。それによると、『大竹まこと ゴールデンラジオ!』の番組中で何度か過去の回想話があり、「あの頃は大変だった。全国を廻ったりして、自分(=大竹本人)は仮面ライダーの着ぐるみショーの中で怪人や悪役の声を演っていて、ライダーの着ぐるみには風間杜夫が入っていた」とコメントをしている。
昭和60年4月より放送開始したバラエティ番組夕焼けニャンニャン』にレギュラーで起用され”常滑川まとこ”名義で出演していた。これは、シティボーイズで本名を用いていたが、ソロ活動と分けるため、初期の頃のみ使用された。なお、現在と異なり”常滑川まこと”は、かなりの暴走キャラクターを芸風としていた。
1988年頃から、メジャーデビュー前のX JAPAN(当時のバンド名は「X(エックス)」)のYOSHIKIらとの交流を持ち、1991年1992年には日本武道館で行われた、YOSHIKI主宰のインディーズレーベル「エクスタシーレコード」のイベント「EXTASY SUMMIT」に司会者として参加したことがある〔ロッキンf(立東社)1992年4月号別冊『無敵 〜エクスタシー・ブック〜』、1993年1月号増刊『TOSHI/YOSHIKI/EXTASY SUMMIT/インディーズ'92〜'93』より〕。
家族構成は妻と1男1女に猫1匹〔『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』59ページより。〕。
長男の大竹涼太は、人力舎所属のマネージャーとしてお笑いトリオ東京03ゆってぃアンタッチャブルなどを担当。またテレビ東京ゴッドタン』の企画を初めとして、テレビにもたびたび出演している〔東京03結成10周年記念特設ページ より。〕。2014年に人力舎を退社し、翌2015年より系列であり、父・大竹まことが所属している「ASH&D」へ移籍している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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