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大竹 慎吾(おおたけ しんご、1965年6月13日 - )は、大分県を登録地としている競輪選手。日本競輪学校第55期生。 == 来歴 == 大分県立日出高等学校時代、1982年及び1983年の国民体育大会・少年1kmタイムトライアル、並びに1983年の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の同種目〔全国高校総体(1kmタイム・トライアル)優勝者 〕でそれぞれ優勝。これらの実績を讃えられ、大分県民栄誉賞を1983年に受賞した。 その後、技能試験免除で競輪学校に入学。同校の在校競走成績は第3位(78勝)だった。 1985年5月11日、久留米競輪場でデビューし8着。初勝利は同年5月13日の同場。 1991年、高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)6位。ふるさとダービー(別府競輪場)4位。 1992年、全日本選抜競輪(岸和田競輪場)6位。ふるさとダービー(別府競輪場)2位。 1993年、日本選手権競輪(立川競輪場)決勝戦で、優勝の海田和裕に次いで2着でゴールしたが、海田後位で激しく競り合った伊藤公人とともに失格の判定を受けた。ふるさとダービー(玉野競輪場)7位。 1996年、共同通信社杯競輪(名古屋競輪場)3位。 2013年、高知競輪場開設記念初日11レースで、武田豊樹ら7選手が追走義務違反で失格となったが、その中の一人だった〔2013/07/25(初日)第11レースS級初日特選 〕。その後、同年9月1日から3ヶ月間の斡旋停止処分を受けた〔武田 GPアウト 追走義務違反であっ旋停止4カ月 - スポニチアネックス 2013年8月17日 06:00〕。また、この影響を受け、2014年の下期(7月~12月)において、S級1班から一気にA級1班へと降級することになった。 2014年7月1日よりA級陥落。降級後の成績は3着以下が一度もなく、同年8月下旬に出走したホームバンクの別府競輪場、同年9月の福井競輪場といずれも完全優勝。その後、S級特進をかけて富山競輪場に出走。同年9月26日のA級決勝戦を制し、特進を達成した〔2014/09/26(最終日)第9レースA級決勝 〕。加えて、49歳での記録達成は、2008年4月に達成した三和英樹の従前最年長記録である39歳を大きく上回るものであった〔大竹慎吾が最年長でS級特昇/富山 - 日刊スポーツ2014年9月26日16時16分〕〔闘将列伝 - 月刊競輪WEB 20141121〕。 2015年3月27日、豊橋FIで優勝。萩原操のS級最年長優勝記録(2014年、51歳1ヶ月9日)には及ばないものの、49歳9ヶ月での優勝を果たした〔FI 日本トーターギャンブー杯争奪戦 豊橋競輪場 2015/03/27(最終日)第11レース - KEIRIN.JP〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大竹慎吾」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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