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大竹 洋平(おおたけ ようへい、1989年5月2日 - )は、埼玉県八潮市出身のサッカー選手。Jリーグ・湘南ベルマーレに所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)及びフォワード (FW)。 ==来歴== 3歳でサッカーを始める。小学生の頃から中村俊輔のプレーを研究し〔【ユース選手紹介 大竹洋平】 東京中日スポーツ〕、同選手に似たプレースタイルやキックフォームを見せるようになる。関東トレセンに選出された際にFC東京から評価され、2002年から同クラブの下部組織に入った。当時は全てのPKを任されていた。2007年のJリーグユース選手権大会では5得点を挙げ、攻撃の起点としてチームの優勝に貢献した。同期には椋原健太、廣永遼太郎、丸山祐市、田端信成、岡田翔平、田中奏一、宮阪政樹、井澤惇、加藤淳也など。 2008年、椋原、廣永と共にトップチームに昇格〔大竹洋平選手 (FC東京U-18) 来季新加入内定のお知らせ FC東京 (2007年9月13日)〕。積極的に好機を演出してアピールに成功し〔大竹 好機演出で開幕猛アピール プレシーズンマッチ 2月24日(日)vs.C大阪 東京中日スポーツ (2008年2月25日)〕、同年3月8日の開幕戦神戸戦(自身の高校卒業式当日)でプロデビュー。4月19日のJ1第7節川崎戦においてプロ初得点をループシュートで決めると〔主役は18歳! 大竹 交代50秒で芸術弾 スポーツニッポン (2008年4月20日)〕、同月21日、U-23日本代表候補に追加招集され〔 FC東京 (2008年4月21日)〕〔東京新人MF大竹U23代表合宿追加招集 日刊スポーツ (2008年4月22日)〕、反町康治オリンピック代表監督から「ゲームの流れを変えられる選手。たぐいまれな個性がある」と評される〔B組突破へ 大竹をサプライズ招集 スポーツニッポン、2008.04.22〕など注目を集めた。以後、オフ・ザ・ボールの動きを試行錯誤し苦しんだものの〔Jリーグ注目選手スペシャルインタビュー Vol.16 大竹洋平選手 (archive ) J's GOAL、2008.10.21〕、J1第24節大宮戦でフリーキックでの得点を決めるなど、チーム3位タイの4得点を挙げ存在感を示した。 2009年、クラブ首脳陣からの厚い期待を受けて4年契約を締結し〔19歳大竹 異例の4年契約 東京中日スポーツ (2008年12月27日)〕、背番号もリオネル・メッシに因んで〔大竹FK特訓68発 開幕スタメンも狙い撃つ 東京中日スポーツ、2009.02.19〕「30」から「19」へ変更〔メッシの背番号は2004-06年が「30」。2006-08年が「19」。〕。しかし同年は対戦相手に得意の左足が封じられると、城福浩監督からも「さらなる成長がないと、この壁は越えられない」〔大竹「反撃の夏」左ひざ痛から19日ぶり練習復帰 東京中日スポーツ、2009.07.09〕と厳しい評価を下され、出場機会が激減。得点も3月29日のナビスコカップ予選リーグ第2節・神戸戦での1得点にとどまった。また、この年からJリーグ選手協会(日本プロサッカー選手会)の副支部長を務めている〔JPFA 役員名簿(2009) 、同(2010) 、同(2011) 日本プロサッカー選手会〕。 2010年、5月22日のナビスコカップ予選リーグ第3節新潟戦で14か月ぶりとなる得点を決める。相手GKのタイミングをずらしてのシュートに、城福監督から「指導者が指導できない発想で点を取ってくれた」〔【ヤマザキナビスコカップ FC東京vs新潟】城福浩監督記者会見コメント (archive ) J's GOAL、2010.05.22〕と称えられた。同年9月のJ1第24節からは城福に替わり大熊清監督が指揮を執ったが、怪我人の復帰に伴うメンバー再編や、FWのリカルジーニョが大竹と同じ攻撃的MFにポジションを変えたことなどから、大熊就任以降のリーグ戦での出場は3試合にとどまった〔選手出場記録 FC東京 2010 Jリーグ (2010年12月4日)〕。しかし、控え組主体〔で臨んだ天皇杯4回戦千葉戦では2得点の活躍〔大竹の2発でF東京が千葉に快勝、17歳幸野もプロデビュー ゲキサカ (2010年11月17日)〕。「最後まで(フル出場しても)運動量が落ちなかった」「自分に自信をもってプレーできている」と成長を実感〔FC東京 大竹が2ゴールで快勝 スポーツニッポン、2010.11.17〕〔 エル・ゴラッソweb版 BLOGOLA (2010年11月28日)〕。大熊は2011年の指揮を執るにあたって「狭いところでパスを出せる田邉草民と大竹洋平をホントに鍛え、戦力にしたい」と名指して期待を示した〔12月9日・大熊清監督続投決定による囲み取材 (後藤勝) サッカーを読む! Jマガ、2010.12.11〕が、田邉が出場機会を増やす一方で大竹は途中出場が続いた〔選手出場記録 FC東京 2011 Jリーグ (2011年12月3日)〕。 2011年8月、攻撃的MF補強を急務としていた〔大竹をC大阪へレンタル 東京中日スポーツ (2011年8月9日)〕セレッソ大阪へ期限付き移籍〔 FC東京 (2011年8月9日)〕〔大竹洋平選手 加入のお知らせ セレッソ大阪 (2011年8月9日)〕。レヴィー・クルピ監督からはキープ力や組み立て、シュート、ゴール前への飛び込みなどで高評価を受けており〔 MSN産経west、2011.10.19〕、自身初出場となったAFCチャンピオンズリーグでは鮮やかな連携を見せたものの〔【C大阪】初出場大竹が存在感 / ACL 日刊スポーツ (2011年9月14日)〕出場機会は乏しく、シーズン終了をもってFC東京へ復帰〔大竹洋平選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ セレッソ大阪 (2012年1月6日)〕〔大竹洋平選手 FC東京復帰のお知らせ FC東京 (2012年1月6日)〕。 2012年も控えからのスタートとなったが、バイタルエリアで違いを作れる選手として〔今季初先発で1得点のFC東京・大竹「結果を出したかった」 ゲキサカ (2012年4月17日)〕4月17日のACL・北京国安戦で先発出場の機会を掴み、1得点を挙げる活躍を見せた。主力として定着しつつあったが、同月末の練習中に負傷。後に左前十字靱帯及び左膝内側半月板の損傷と診断され〔大竹洋平選手の検査結果について FC東京 (2012年5月3日)〕戦線から離脱。2013年夏場にかけて復調しつつあった〔大竹1ゴール1アシスト 完全復活へ猛アピール 東京中日スポーツ (2013年8月5日)〕〔ポポ監督、湘南移籍の大竹の成長に期待 サッカーキング (2013年8月21日)〕。 2013年8月にリーグ戦ベンチ入りを果たし〔選手出場記録 FC東京 Jリーグ〕、同月、中学生時に関東トレセンで指導を受けたチョウ・キジェが率いる湘南ベルマーレへ期限付き移籍〔大竹洋平選手 湘南ベルマーレへ期限付き移籍のお知らせ FC東京 (2013年8月13日)〕〔FC東京 大竹洋平選手 移籍加入のお知らせ 湘南ベルマーレ (2013年8月13日)〕。高い技術を発揮して〔湘南 新加入の大竹洋平、磐田戦でメンバー入り濃厚 blogola (2013年8月15日)〕早々にチームにフィット〔【J1:第21節 湘南 vs 磐田】曹貴裁監督(湘南)記者会見コメント (archive ) J's GOAL (2013年8月17日)〕。相手の隙を突く巧みなパスや〔【J1:第22節 湘南 vs 甲府】レポート (archive ) J's GOAL (2013年8月22日)〕プレースキックで決定機を演出し、攻撃を勢い付けた〔【J1:第24節 湘南 vs 仙台】レポート (archive ) J's GOAL (2013年9月1日)〕〔【J1:第27節 湘南 vs 浦和】プレビュー (archive ) J's GOAL (2013年9月27日)〕。同年11月の練習試合中に右膝前十字靭帯を断裂し長期離脱を強いられた。2014年より湘南へ完全移籍〔大竹洋平選手 湘南ベルマーレへ完全移籍のお知らせ FC東京 (2013年12月20日)〕。同年8月、J2第27節栃木戦で復帰。2015年はシャドーの位置から攻撃の起点となり、味方の走力を活かした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大竹洋平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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