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大翔湖 友樹(だいしょううみ ともき、1984年4月21日 - )は、東京都江東区出身で追手風部屋に所属した大相撲力士。身長178cm、体重148kg。本名は森 友樹(もり ともき)。最高位は東十両10枚目(2009年1月場所)。 == 来歴 == 1994年にはわんぱく横綱小学4年生の部、1996年には小学6年生の部で優勝するなど幼少期から目立つ存在であった。高校は鳥取城北高等学校に相撲留学し、卒業後、日本大学経済学部に進学し、相撲部に所属。2006年には全国学生相撲選手権大会(学生横綱)で優勝し、幕下付出(15枚目格)を獲得した。2007年1月に初土俵を踏んだ大学の同級生清瀬海・山本山、天鎧鵬に遅れて、3月にデビューしたが、加賀谷戦でつき手による敗戦を喫するなど2勝5敗と負け越し、幕下15枚目格付出力士のデビュー場所としては、全休した垣添、二番相撲で黒星からの途中休場の明月院を除き最低の成績に終わった。西幕下33枚目で迎えた翌5月場所は5勝2敗と力を見せた。その後も7月場所で5勝2敗、9月場所で4勝3敗と3場所連続で勝ち越した。 2008年5月場所では東幕下4枚目で5勝2敗であったが惜しくも十両昇進を見送られ、東幕下筆頭となった7月場所では2番相撲の安壮富士戦で左腕を痛めた影響もあってか3勝2敗から6番相撲で若天狼、7番相撲で同期生の十両・市原に敗れ2連敗で負け越しとなった。翌9月場所は西幕下4枚目で4勝3敗で終了。東十両14枚目で7勝8敗の安壮富士との比較で、過去の例から十両昇進は難しいと思われていたが、番付編成会議において十両昇進が決定。本人も昇進をあきらめており、四股名を考えていなかったため、本名のまま十両昇進が発表された。その後追手風親方が日大相撲部の田中英壽監督に電話し30分で四股名を決め、記者会見の直前に「大翔湖」と改名した。 2011年11月8日、10月28日付けで大翔湖が引退届を提出していたことが発表された。肘の怪我のため低迷し、11月場所は西三段目6枚目にまで番付を落としていた。8月の石川合宿で左目を眼窩底骨折したため引退を決断した。 引退後はインターネットショップを開業し、引退してグルジアに帰国した黒海も国を隔てて業務に従事している。 高校の1年先輩には尾上部屋の境澤賢一、同級生には尾車部屋の星風芳宏、境川部屋の城ノ龍康允がいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大翔湖友樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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