|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 大聖 : [たいせい] (n) great sage ・ 聖 : [ひじり, せい] 1. (pref) saint 2. st. ・ 寺 : [てら] 【名詞】 1. temple ・ 門 : [もん] 1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons ・ 門跡 : [もんぜき, もんせき] 【名詞】 1. (head priest of) temple formerly led by founder of sect 2. temple in which resided a member of nobility or imperial family 3. (head priest of) Honganji (temple in Kyoto) ・ 跡 : [せき, あと] 【名詞】 1. (1) trace 2. tracks 3. mark 4. sign 5. (2) remains 6. ruins 7. (3) scar
大聖寺(だいしょうじ)は、京都市上京区にある寺院。花の御所、すなわち室町幕府の跡地の一部を占める。宗旨は臨済宗系の単立。山号は岳松山。本尊は釈迦如来。御寺御所とも称する、天皇家ゆかりの尼門跡寺院である。非公開のため拝観不可。 == 歴史 == 開基は無相定円禅尼。無相定円は俗名を日野宣子といい、足利義満正室・日野業子の叔母であり、光厳天皇の妃である。同人は貞治7年(1368年)、光厳天皇の法事が天龍寺で行われた際、春屋妙葩を導師として落飾(出家)した。足利義満は花の御所(足利将軍邸)内の岡松殿に無相定円を住まわせた。無相定円が永徳2年(1382年)に没した後、岡松殿を寺にしたのが大聖寺である。寺号は無相定円の法名に因み、山号の岳松山は岡松殿に由来する。 寺はその後、長谷(ながたに、現・左京区岩倉長谷町)に移転し、さらに文明11年(1479年)には毘沙門町(現・上京区上立売通寺町西入る)に移転した。寺は延宝元年(1673年)に焼失し、元禄10年(1697年)に現在地に再興された。現在地はもと聖護院のあったところで、同院が延宝3年(1675年)に焼失し、現在の左京区に移転した跡地に大聖院が再興されたものである。 正親町天皇の皇女が入寺した際、天皇から尼寺第一位の綸旨を得、御寺御所と称される尼門跡寺院となっている。〔歴史については、『日本歴史地名大系 京都市の地名』の「大聖寺」の項による。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大聖寺 (京都市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|