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大聖護国寺(だいしょうごこくじ)は、群馬県高崎市にある真言宗豊山派の寺院である。東京の音羽護国寺の前身である〔太子山天明寺ホームページ 〕。 == 歴史 == 寺伝では、建保3年(1215年)、定弘の建立とされる〔『角川日本地名大辞典 群馬県』568頁、『群馬県の地名』430頁〕。定弘は、山城国醍醐寺で天皇の病気平癒の祈祷を行い、祈祷の本尊である不動明王像を下賜されたのち、当地に下向してこの寺を開基したのだという〔。 寛永年間まで碓氷八幡宮(現在の上野國一社八幡宮)の別当寺で、現在も、上野國一社八幡宮の東に隣接している〔『群馬県の地名』430頁〕。 寛文元年(1661年)、後に江戸幕府5代将軍となる徳川綱吉が、上野国館林藩に封ぜられると、綱吉の母・桂昌院は、帰依していた僧・亮賢を招き、上野国高崎の地にある当寺の第24世住職(碓氷八幡宮の別当職)に充てた〔『江戸東京の寺社609を歩く』140頁、『日本国誌資料叢書 武蔵』965頁、『群馬県の地名』430頁〕。 延宝8年(1680年)、綱吉が将軍となると、翌延宝9年、亮賢に幕府の有する高田御薬園の地を与えて一寺を開かせた〔『日本名刹大事典』246頁、『江戸東京の寺社609を歩く』140頁、『日本国誌資料叢書 武蔵』965頁〕。 その寺は、当寺の名(大聖護国寺)を継いで、「神齢山悉地院 大聖護国寺」と号したが、これが東京の音羽護国寺である〔『江戸東京の寺社609を歩く』140頁、「天海と隆光」158頁〕。なお「悉地院」という院号も、当寺の院号であったことが明徳元年(1390年)書写の経奥書に見える〔『角川日本地名大辞典 群馬県』568頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大聖護国寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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