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大草流庖丁道(おおくさりゅうほうちょうどう)は、食儀礼(日本料理)及び礼式の流派の一つ。室町時代に、室町幕府奉公衆の大草三郎左衛門公次により創始された。 古代以来権力者の暗殺には毒が使われることが多かったため、足利将軍家における調理は特に信用できる譜代の家臣に任されていた。大草流を確立した大草氏は将軍の元服など儀式での料理を担当し、これとは別に進士流は仁木、細川、畠山各氏に仕えて饗応料理の吟味役を務めた。 庖丁道とは料理に関する作法・故実や調理法などを最も頻用する調理器具の包丁で象徴した呼び名である。 ==起源== 『群書類従』では、北山文化(室町文化)華やかな天授・康暦の頃(1380年頃)、大草三郎左衛門公次(きんつぐ)が足利義満の料理人となり仕えるとあり大草流の誕生と思える。義満は日本国王を名乗り、死後には太上天皇の諡号を贈られるなど、自分に公家以上、皇室以上の格式を求めていたため武家の為の武家好みの包丁道を必要としていた。加えて南北朝期のバサラ大名に代表される、旧来の身分秩序を嘲笑する時代の空気を多分に含み、同時期に生まれ後に能として大成した猿楽や狂言などとともに大草流庖丁道の極意「序破急バサラに至る」も編み出された。室町時代になると経済的・文化的にも武士の優位は動かしがたいものとなり、武士も公家の文化を取り入れ、武士独自の饗応料理として「本膳料理」の形式を確立する。八条宮家には生間流(いかまりゅう)があり、公家も本膳料理の形式を取り入れつつ、独自の式典料理として「有職料理」の形式が次第にまとまっていった物と考えられる。安土桃山時代に来日したジョアン・ロドリゲスは著書『日本教会史』の中で支配階層が身に付けるべき「能」(実践的な教養)であったものとして、「弓術・蹴鞠・庖丁」を挙げている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大草流庖丁道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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