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大巧寺(だいぎょうじ)は、神奈川県鎌倉市小町にある日蓮宗系の単立寺院。特定の檀家を持たず、安産祈願を行う寺として知られる。旧本山は、比企谷妙本寺。 ==歴史== 大巧寺はもともと大行寺と称する真言宗の寺院で、当初は十二所の梶原景時の屋敷内にあった。創建年や開山などは不明だが、源頼朝の祈願所とされた事から、鎌倉時代初期頃までには創建されていたと推測される。この寺で頼朝が軍議を行った結果、大勝利を収めたため、頼朝の命により「大巧寺」という名称に改名した。文永11年(1274年)、日澄により日蓮宗に改宗する。〔日本仏家人名辞書,968P、日澄の項〕これに基づき現在では開山を日澄としている。元応2年(1320年)、2月に現在地へ移転した。〔大巧寺HP「大巧寺沿革 」より。〕 *天文元年(1532年)、五世住職の日棟が難産で死んだ女の霊を成仏させるという伝承が生まれる。〔大巧寺HP「産女霊神縁起 」より。〕この伝承が広まって以降、安産祈願に験のある寺として知られるようになる。詳しくは「おんめさま信仰」の項を参照。 *天文16年(1548年)10月12日後北条氏より1貫200文の寄進を受ける(寄進状には当時鎌倉の代官を務めた大道寺盛昌の花押あり)。天正3年(1575年)2月17日、後北条氏家臣で大巧寺の譜代旦那である浜名時成より6貫文の寄進を受ける。天正19年(1591年)11月、徳川家より寺領7貫200文の朱印を受ける。 *慶応2年(1866年)10月15日、本堂・庫裏が火災により焼失。明治3年(1870年)に再建されるが大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊。本堂は昭和6年(1931年)、庫裏は同7年に再度再建される。〔 *昭和26年(1951年)2月16日、単立寺院となる。〔〔特に注記の無い項目は新編相模国風土記稿、「大巧寺」(巻之二十 13-14P 近代デジタルライブラリーでは340-341コマ)の記載に拠った〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大巧寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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