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大谷 竹次郎(おおたに たけじろう、1877年12月13日 - 1969年12月29日)は兄・白井松次郎とともに松竹を創業した日本の実業家。 ==来歴・人物== 1877年(明治10年)12月13日、京都生れ。父:大谷栄吉、母:しも。双生児の兄が白井松次郎。実父栄吉は相撲の興行師で、妻に水場(売店)の経営をさせていた。女婿(妾腹の娘の夫)が後の松竹社長城戸四郎。 劇場の売店経営から劇場経営へ進出。1895年 大谷竹次郎が京都阪井座を買収し、その興行主となる。1902年(明治35年)京都新京極通に明治座(のちの京都松竹座)を開設。 1905年(明治38年)に兄とともに大阪市南区葦原町に松竹合名会社を設立(白井松次郎社長)。後に東京新富座買収によって東京に進出して以降は、竹次郎が関東、松次郎が関西を受け持った。 東京の多くの劇場の経営権を握り、1914年(大正3年)歌舞伎座の社長に就任。1920年(大正9年)2月、松竹キネマ合名会社を設立し、映画界にも進出。関東大震災の際、松竹は東京・横浜の劇場・映画館のうち22館を焼失した(歌舞伎座は1921年の火災で再建途中だったところを震災に遭った)。 松竹キネマは1931年(昭和6年)に日本初の本格的トーキー『マダムと女房』を上映するなど、小林一三の東宝と勢力を二分した。 1937年(昭和12年)、松竹社長に就任(白井松次郎は会長に)。第二次世界大戦後の1955年(昭和30年)に、歌舞伎の伝承発展への貢献を認められ文化勲章を受章。さらに、勲一等瑞宝章も受章した。1969年(昭和44年)死去。享年92。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大谷竹次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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