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大豆島(まめじま)は、長野県長野市東部郊外に広がる地域。 # 【最狭義】大字大豆島の範囲。 # 【狭義】1.に、大字大豆島から住居表示施行などで分かれた大豆島西沖・松岡一〜二丁目を加えた範囲。1879年(明治12年)末時点の上水内郡大豆島村域に相当。 # 【広義】2.に大字風間を加えた範囲。1951年(昭和26年)4月時点の上水内郡大豆島村域に相当。長野市役所大豆島支所管内の範囲。''本項で解説'' 地域内の人口は、3.の範囲(長野市役所大豆島支所管内)は4,770世帯 12,477人、2.の範囲は3,233世帯 8,309人(平成26年4月1日現在)〔長野市町別人口及び世帯数 - 長野市企画政策部企画課〕。 本項では、かつて概ね同区域に所在した上水内郡大豆島村(まめじまむら)についても述べる。 == 概要 == 地域東端を千曲川、南端を犀川が流れ、地区東部で合流する。地域東部に長野県道372号三才大豆島中御所線(東外環状線)、西部に長野県道34号長野菅平線が通過する。周囲は以下の地域と接する。 千曲川と犀川の合流点に位置する当地区の地名は「大豆を2升まけば2石2斗2升とれた」という言い伝えに由来すると言い〔大豆島甚句 - 長野市文化財データベース〕、その通り肥沃な地で農業が盛んであった。一方古くから千曲川・犀川による浸食を多く受けた地であり、以前は地域の中央部を犀川、北部を裾花川が横切っていたと考えられる〔裾花川水系 - 長野市教育会郷土誌委員会〕。旧大豆島村が1879年(明治12年)の郡区町村編制法施行まで水内郡ではなく犀川対岸の更級郡に属していたのも、河川の流路が移り変わってきた経緯による。 現在でも田畑が多く残るが、長野市街地までバス・車で20分程度という立地によりベッドタウンとしても発展。大豆島東団地のほか、区画整理が為された松岡なども宅地化が進んでいる。また、近年東外環状線沿いにはロードサイド店舗やレジャー施設が進出するようになった。犀川・千曲川沿いには工場が多く立地するほか、清掃工場・産廃処理場や下水処理場などの処理施設も集中しており、一部住民から反発の声も上がっている〔長野市大豆島ゴミ問題を考える会 〕。 当地域は長野市内では数少ない、夏(旧盆)に成人式を行う地域の一つである。また、祭りに際して歌い踊られる「大豆島甚句」は、かつて善光寺平一帯に伝わっていた甚句の江戸時代の歌詞を、唯一完全な形で唄い継いでいるものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大豆島」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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