|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 典 : [のり] 【名詞】 1. rule 2. law ・ 雄 : [おす] 【名詞】 1. male (animal)
大賀 典雄(おおが のりお、1930年1月29日 - 2011年4月23日)は、日本の実業家、指揮者、声楽家。 勲等は勲一等。ソニー株式会社相談役、財団法人東京フィルハーモニー交響楽団会長・理事長、東京文化会館館長。 CBS・ソニーレコード株式会社社長(初代)、ソニー商事株式会社社長、東京商工会議所副会頭、ソニー株式会社社長・最高経営責任者(初代)、社団法人経済団体連合会副会長などを歴任した。 妻はピアニストの松原緑。 == 来歴 == === 生い立ち === 1930年、静岡県沼津市の材木商を営む大賀正一・としの次男(7人兄弟)として生まれる〔日経Bizアカデミー、2015/7/16〕。父親は浜松第一中学から盛岡高等農林学校に学んだのち事業を興し、仏領インドシナなどにも店を持つほど成功した〔。父親がハノイに単身赴任していたため母・兄弟姉妹とともに沼津千本松原の別荘で裕福に暮らす〔。1949年、旧制静岡県立沼津中学校を卒業。在学中に肋膜炎を患い、療養中の家庭教師となった岩井産業の岩井一郎から工学から音楽・歴史まで多大な影響を受ける〔日経Bizアカデミー、2015/7/23〕。敗戦で理工への希望が湧かず、たまたま聴いた日比谷公会堂での中山悌一の歌声に感動し〔日経新聞、2015/7/27〕、東京藝術大学音楽学部声楽科に進学。父親が戦後隅田川沿いに土地を買い、両国にグランドピアノ付きの家を建ててくれ、そこから上野に通学した〔日経Bizアカデミー、2015/8/3〕。同大学在学中に東京通信工業(のちのソニー)のテープレコーダーの音質にクレームをつけたのがきっかけで同社嘱託となる。井深大とは、大学進学前に東京通信工業の出資者のひとりから紹介されて顔見知りであり、同社が国産初の磁気録音機を芸大に売り込んだ際に協力していた〔日経Bizアカデミー、2015/8/6 〕。 東京芸術大学の音楽学部を卒業後、同大学の専攻科を修了し、東京通信工業の嘱託として給料をもらいながら〔、ドイツに留学した。ミュンヘン国立高等音楽大学にて学んだのち、田中路子の勧めでベルリン国立芸術大学に移り、同大学の音楽学部を卒業した。このころ田中路子の紹介で、ベルリン・フィルハーモニーの新指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンと知り合う〔日経Bizアカデミー、2015/8/17 〕。ベルリンから帰国後は二期会に所属し、バリトン歌手として活動。帰国後間もない1957年9月に、井深大の媒酌で、芸大の同級生で留学仲間でもあるピアニストの松原緑と結婚し〔日経Bizアカデミー、2015/8/24〕、妻の実家が敷地内に建ててくれた白山の家で新婚生活を始める〔日経Bizアカデミー、2015/8/17 〕。緑の父親・松原正香は東邦医大教授やホンダの顧問医などを務める医師で、丸山ワクチンで知られる丸山千里の兄〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大賀典雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|