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大迫尚道 : ミニ英和和英辞書
大迫尚道[おおさこ なおみち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なお]
  1. (adv,conj) (uk) furthermore 2. still 3. yet 4. more 5. still more 6. greater 7. further 8. less 

大迫尚道 : ウィキペディア日本語版
大迫尚道[おおさこ なおみち]

大迫 尚道(おおさこ なおみち、嘉永7年7月25日1854年9月6日) - 昭和9年(1934年9月12日)は、日本の陸軍軍人軍事参議官第4師団長・第18師団長・野砲兵監を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功二級に至る。
==経歴==
1854年(嘉永7年)7月、薩摩藩士大迫新蔵のもとに生まれる。1871年(明治4年)4月徴兵により軍に入り、同年7月から御親兵に配属される。翌年陸軍幼年学校に入校、1875年(明治8年)12月から陸軍士官学校(旧2期)に入る。在校中に起った西南戦争では征討軍団付となり従軍する。1879年(明治12年)2月1日陸軍砲兵少尉に初任。同年12月士官学校を卒業する。
1883年(明治16年)3月陸軍砲兵中尉に進み、1886年(明治19年)5月から陸軍大学校教授に就任する。同6月陸軍砲兵大尉に進級し、1888年(明治21年)5月から参謀本部第1局員となる。翌年5月からドイツへ留学し、1891年(明治24年)9月の砲兵少佐・東京砲兵工廠付を経て1891年(明治24年)12月、ドイツ公使館付を命ぜられる。これは後に駐在武官となる職で、1893年(明治26年)7月まで務めた。
帰国し陸軍大学校教官となり、1894年(明治27年)2月から野砲兵第1連隊大隊長、8月には日清戦争第1軍参謀として出征する。同年12月砲兵中佐に進み、翌年の1895年(明治28年)7月野砲兵第3連隊長に就任する。1896年(明治29年)10月第5師団参謀長に移り、1897年(明治30年)10月砲兵大佐に進級する。1898年(明治31年)12月から第4師団参謀長に移り、1901年(明治34年)6月陸軍少将に任官され、野砲兵第2旅団長を命ぜられる〔『官報』第5394号「叙任及辞令」1901年6月27日。〕。
1904年(明治37年)9月から日露戦争野砲兵第二旅団長として出征して旅順攻囲戦に参加、攻囲戦途上より第2軍参謀長に異動する。1906年(明治39年)2月、教育総監隷下の野戦砲兵監に就き、同年4月1日功二級金鵄勲章を受章。1907年(明治40年)10月呼称変更の為、野砲兵監となる。同年11月、陸軍中将に進み、1910年(明治43年)11月から第18師団長を親補される。1912年(大正元年)12月第4師団長に移り、1914年(大正3年)5月16日勲一等瑞宝章受章。1915年(大正4年)2月軍事参議官に就き軍の枢機を与る。同年8月歴戦の功により陸軍大将に親任される。1918年(大正7年)11月29日、勲一等旭日大綬章受章。1919年(大正8年)7月、後備役編入。1934年(昭和9年)9月12日薨去。墓所は東京都多磨霊園

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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