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大連カトリック教会(だいれんかとりっくきょうかい、英文名称:Dalian Catholic Church、中国語)は中国の大連市にあるキリスト教カトリックの教会で、1926年に日本人のカトリック教徒が建てた由緒ある教会で、大連で唯一のカトリック教会。建物は大連市保護建築(第1回)に指定されている。 ==簡単な歴史== * 大連が日本の租借地であった時代の1923年に、主に南満州鉄道に勤めるカトリック信者により教会活動が始まり、信徒の岡大路〔岡は、東京帝国大学工学部建築学科を卒業し満鉄に入社、南満州工業専門学校の教授を経て校長を務め、後に満州国建築局長となった。〕などの努力により2万元をかけてメリノール宣教会(本部は米国ニューヨーク州、東京に支部)の教会堂として完成し、1926年に聖母海星(ステラ・マリス)大連天主教教堂(英文名:Stella Maris Catholic Church in Dalian)として献堂された。 * 1931年から中国人は郊外の沙河区劉家屯の天主教教会へ移り、このころの聖母海星教会の信徒数は1,200人を数えた。 * 1945年の日本の敗戦と共に日本人は去り、中国人の教会となった。その後文化大革命がはじまり、1969年から丁汝南神父は瀋陽近くの村で農耕に従事した。 * 1980年に丁神父は大連へ戻り、教会は聖心堂と改名され再開された。1980年代は毎年洗礼は2~3人であった。1989年から郭景成神父に代わり、1994年からペテロ張永哲神父に代わっている。 * 韓国語による外国人のミサは1994年に始まり、崔在哲神父がつとめている。 :---以上は、大連カトリック教会の歴史紹介から--- 〔大連で発行された韓国語カトリック誌「チャクン・ナヌム」(Chak-eum Nanum 、小さな分け前)Vol. 1, 1999(1994-1999年文集)に、オー・テドン(Oh Dae Dong、中国語名:呉太東、韓国人詩人)が書いた「大連カトリック聖心堂の歩み」()〕 * 大連市天主教愛国会事務所も、この教会のもと神父館にある。書店も入り口の右の小さな部屋にあり、土曜日夕方と日曜日に開いている。 * 2002年に、大連市第1回保護建築に指定された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大連カトリック教会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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