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大道寺 友山(だいどうじ ゆうざん、寛永16年(1639年) - 享保15年11月2日(1730年12月11日))は、江戸時代の武士、兵法家。山城国伏見の人で、諱を重祐、通称を孫九郎(大道寺氏嫡男代々の通称)と称した。晩年に『武道初心集』『岩淵夜話』『落穂集』などを著す。後北条氏の重臣大道寺政繁の曾孫にあたる。系図上、政繁長男の直繁-繁久-重祐(友山)となる。 ==略歴== 寛永16年(1639年)、大道寺繁久の子として生まれる。繁久は松平忠輝に仕えた元越後高田藩士であったが、高田松平家が元和2年(1616年)に改易されて以来浪人となっていた。友山は長ずるに及んで江戸に出て、小幡景憲、北条氏長、山鹿素行らに師事して甲州流軍学を学び、軍学者として身を立てる。その博識を買われ安芸広島藩浅野氏、会津藩松平氏の客分を経て、越前松平氏の福井藩に迎えられ、主に軍学を講じた。 享保15年(1730年)11月2日、江戸において92歳で没した。東京都渋谷区の東北寺に墓所がある。 「武江年表」によると、享保11年(1726年)11月18日、「大道寺友山翁尚歯会、志賀随翁、其余六人の翁会すると云、姓名未詳」とあり、知己の老人を集めて尚歯会を開いたことがあるらしい。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大道寺友山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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