翻訳と辞書
Words near each other
・ 大道寺直次
・ 大道寺直秀
・ 大道寺直繁
・ 大道寺直聴
・ 大道寺直英
・ 大道寺知世
・ 大道寺繁殖
・ 大道寺繁清
・ 大道寺繁禎
・ 大道寺繁糺
大道寺資親
・ 大道寺重時
・ 大道寺重興
・ 大道寺順正
・ 大道小学校
・ 大道峠
・ 大道幸人
・ 大道広幸
・ 大道彩香
・ 大道徳学


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大道寺資親 : ミニ英和和英辞書
大道寺資親[だいどうじ すけちか]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大道 : [だいどう]
 【名詞】 1. main street 2. avenue 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 

大道寺資親 : ウィキペディア日本語版
大道寺資親[だいどうじ すけちか]
大道寺 資親(だいどうじ すけちか、?-元亀元年3月21日1570年)〔『北条早雲とその一族』220P〕)は、戦国時代後北条氏の家臣。大道寺周勝の子とするのが通説であるが、弟や従兄弟とする説もある。大道寺政繁の父。受領名駿河。通称は弥三郎。
周勝の生前よりその所領の一部を譲られていた。周勝の死後、河越城城代鎌倉代官を兼ねた。永禄12年(1569年)には北条氏邦の指揮下で武田信玄支配下の駿河興津城を攻めた。同年には玉縄城主北条氏繁に鎌倉代官を譲って行政と軍事の一体化が図られるが、行政の停滞を招いたためにその年のうちに中止されて復職している。
また、北条氏康鎌倉尼五山太平寺の破却を命じた時には、同寺の仏殿を円覚寺に移設する工事を指揮している。(この仏殿は舎利殿として使われ、後年国宝に指定された)
永禄9年(1566年)、寄進を行い桂昌庵を創建した。〔新編相模国風土記稿 巻之八十 鎌倉郡巻之十二 桂昌庵の項〕
また、遠山康光とともに越相同盟締結に尽力した。元亀元年(1570年)に死去し、息子・政繁が河越城代に、北条氏繁が再度鎌倉代官に任命されている。
==参考文献==

*黒田基樹『北条早雲とその一族』 新人物往来社 2007年 ISBN:9784404034588

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大道寺資親」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.