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大邦一公 : ミニ英和和英辞書
大邦一公[おおくに いっこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほう, くに]
 (n) country
: [いち]
  1. (num) one 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

大邦一公 : ウィキペディア日本語版
大邦一公[おおくに いっこう]

大邦 一公(おおくに いっこう、1900年1月1日 - 没年不詳)は、日本の俳優である〔キネマ旬報社, p.97-98.〕〔''大邦一公''、''jlogos.com'', エア、2013年2月7日閲覧。〕〔''大国一公''日本映画データベース、2013年2月7日閲覧。〕〔''大邦一公''、''大国一郎''、''大国一公''、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月7日閲覧。〕〔''大邦一公''、映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年2月7日閲覧。〕〔''大邦一公''KINENOTE, 2013年2月7日閲覧。〕〔''大邦一公''allcinema, 2013年2月7日閲覧。〕〔''大国一公''、''大国一郎''日活データベース、2013年2月7日閲覧。〕〔''大国一公''、映画データベース、東宝、2013年2月7日閲覧。〕〔''大邦一公''テレビドラマデータベース、2013年2月7日閲覧。〕〔''大邦一公''、''大国一公''、''大國一公''、''大国一郎''東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月7日閲覧。〕。本名重浦 晃(しげうら あきら)、旧芸名大国 一郎(おおくに いちろう、大国 一朗とも)、大国 一公(おおくに いっこう)〔〔〔〔〔。東宝の映画データベースは「大邦 一公」の読みを「おおくに かずきみ」としている〔。
== 人物・来歴 ==
1900年明治33年)1月1日高知県に生まれる〔〔〔。
1920年代の初期から「大国 一郎」の芸名を名乗り、神奈川県横浜市山下町31番地(現在の同市中区元町1丁目77番地)で1920年(大正9年)4月に設立設立された大正活映(1922年製作中止)で映画に出演したり、地方巡業を行う劇団で実演をしていた〔〔。『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社)および『芸能人物事典 明治大正昭和』(日外アソシエーツ)によれば、1926年(大正15年)、京都府京都市右京区御室マキノ・プロダクションに入社、『鳴門秘帖』(監督沼田紅緑)に出演とされているが〔〔、日本映画データベースによれば、同年から翌1927年(昭和2年)にかけての時期は、当時、同プロダクションと密接な提携関係にあり、「マキノ東京派」と呼ばれた高松豊次郎が主宰するタカマツ・アズマプロダクションの製作するサイレント映画にもっぱら出演している〔。マキノ・プロダクション御室作品への出演が本格的に始まるのは、同年3月31日に公開されたマキノ正博監督の『謎の一夜』以降である〔。1928年(昭和3年)3月14日に公開された牧野省三監督による大作『忠魂義烈 実録忠臣蔵』には、「吉良の家来・和久牛太郎」役と「狂人・荒物屋千五郎」役の二役で出演している〔。同作は、マキノ正博が所長を務めたマキノ・プロダクション名古屋撮影所松の廊下等のセットが組まれており、同じく同撮影所が製作、同年4月3日に公開された富沢進郎監督の『旋風児』にも出演した〔。同年秋には、東京府荏原郡蒲田町(現在の東京都大田区蒲田5丁目)にあった松竹蒲田撮影所に移籍した〔〔〔。同社では、現代劇喜劇映画に多く助演した〔。
1934年(昭和9年)、日活が同年に北多摩郡調布町大字布田小島分(現在の東京都調布市多摩川6-1-1、角川大映撮影所)の日本映画撮影所を買収して開いた日活多摩川撮影所に移籍している〔〔。同社で初めてトーキー作品に出演した〔。その後、関西新派女形梅野井秀男の一座に招かれ、梅野井のお吉に大国がタウンゼント・ハリスを演じた『唐人お吉』の演目で、満州国(現在の中華人民共和国東北部)や日本統治時代の朝鮮を巡業する旅に出た時期があった〔。1938年(昭和13年)には、京都の日活京都撮影所に移籍、「大国 一公」と改名した〔〔。1942年(昭和17年)1月27日の戦時統合による大映の設立以降も継続入社、日活京都撮影所改め大映京都第一撮影所(のちの大映京都撮影所、現存せず)に所属して、脇役出演を続けた〔〔。
第二次世界大戦終結後は、当初、東京の東宝(現在の東宝スタジオ)に出演したが、やがて東宝争議により新東宝での出演が増え、1952年(昭和27年)には「大邦 一公」と改名した〔〔。1953年(昭和28年)秋からは拠点を京都に移し、大映京都撮影所、松竹京都撮影所東映京都撮影所を渡り歩き、おもに時代劇の悪役を演じた〔〔。この時期、テレビ映画にも出演している〔。1964年(昭和39年)以降は、拠点を東京に移し、フリーランス的に仕事をした〔。満67歳となった1967年(昭和42年)7月11日に公開された成人映画快楽の罠』に出演しているが、これは戦後の京都時代につきあいのあった深田金之助が製作・監督した作品であり、本作以降の出演記録は見当たらない〔〔〔。没年不詳。時期は不明であるが、女優の黒田記代(本名富田千代、1915年北海道札幌市生まれ)〔黒田記代 、''jlogos.com'', エア、2013年2月7日閲覧。〕の実姉と結婚した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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