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大野 敏隆(おおの はるたか、1978年5月12日 - )は、埼玉県生まれ〔、群馬県佐波郡玉村町育ち〔「週刊サッカーマガジン」2002年4月17日号〕の元プロサッカー選手。ポジションはMF。 ==来歴== 1997年に柏レイソルに入団。ユース代表では中村俊輔とともに"W司令塔"とよばれチームの中心であった。柏では3年目から背番号10を与えられ、卓越したテクニックとパスワークで、長くチームの主力選手として活躍した。 2003年、2004年には期限付き移籍を経験するが、2004年途中に降格危機の柏に呼び戻され、J1・J2入れ替え戦でもゴールを決めJ1残留に貢献した。 だが2005年は入れ替え戦に敗れ柏はJ2降格、大野は、柏でコーチを務めたラモス瑠偉が新監督に就任した東京ヴェルディ1969へ完全移籍。2006年は新入団選手としては異例の主将に指名された。だが、6月21日の第23節ヴィッセル神戸戦で腰部に痛みを訴え途中交代。外傷性腰部椎間板ヘルニアと診断され同月30日に手術を受けた。第44節古巣の柏戦で復帰するがベストコンディションにはほど遠く、結局その後試合に出場することなくシーズンを終えた。 2007年は前年の怪我の影響があり、途中交代や欠場する試合が多かったものの、主将としてチームを引っ張り、J1復帰に貢献した。 2008年、東京VのJ1昇格に伴い、柱谷哲二が監督に昇格。服部年宏が主将を務めることになり、開幕当初はベンチを温める日々が続いていた。しかし、チームのシステム変更に伴い出場機会を得てからは、スタメンで試合に出場していた。8月18日に都内の病院にて腰部椎間板ヘルニアの手術を行い、全治3ヶ月であることが発表された。シーズン終盤に復帰したもののチームはJ2に降格、大野も2008年限りでの退団が発表された。 元所属クラブなどから公式発表はないが、2010年3月15日付の『桐生タイムス』に大野がサッカースクールを開設するという記事が掲載され、引退した事が判明している〔元Jリーガーの大野敏隆さんが小学生向けにスクール開始 〕。 2013年現在はフュエル鎌ヶ谷サッカークラブにてジュニア・ユースチームの指導者として活動している〔フュエル鎌ヶ谷サッカークラブ公式サイト 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大野敏隆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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