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大野 敬正(おおの けいしょう、1975年12月1日 - )は、新潟県新潟市出身の三味線プレイヤー(津軽三味線奏者)。血液型 O型。 初代高橋竹山の流れを汲む竹山節本流継承者であるが、伝統曲の独奏に限らず、三味線の新たな可能性に挑戦し、バンド活動や他ジャンルとのセッション、および作曲も手がける若手奏者の一人である。 『伝統音楽を守りながら伝統音楽を壊す』がモットー。パリを拠点に活動し、三味線の固定観念を打ち破る斬新な演奏スタイルと高い演奏技能で、海外を中心に人気を集めている。 == 人物・来歴 == 8歳より母親の影響で津軽三味線を始め(津軽三味線の大家、初代高橋竹山の直弟子高橋竹栄に師事)、12歳の若さにして名取りとなり「竹児(ちくじ)」を襲名。 14歳で初代高橋竹山に認められ竹山節本流継承者となる。 2000年、独立。話芸を学ぶため活動の拠点を大阪に移す。 2002年、邦楽ユニット「Bachi -撥-」を結成。 また同時期に、芸名「大野竹児」改め、本名「大野敬正」での活動を始める。 2003年、「Bachi -撥-」名義にてミニアルバム『STORMING BLUE』を制作。 同年、アルバム『アンビエンス』を制作しソロ活動もスタート。 2004年、映画評論家水野晴郎監督作品シベリア超特急4の舞台音楽を担当。 2005年、ミニアルバム『Inside out』を制作。 2006年、アメリカで開催された世界最大のライブイベント「SXSW (サウス・バイ・サウスウエスト)Music Festival」に出演。(津軽三味線奏者としての出演は史上初。) 同時期に全米ツアー(ニューヨーク、シカゴ、オークランド、ロサンゼルス)を実施。 同年、ミニアルバム『SPIRAL LOOP』を発表。 2007年、アルバム『三味線魂!~Shami Spirits~』(DAIPRO-X)でメジャーデビュー。プロデューサーは新田一郎(元スペクトラム (バンド) ) 2008年、活動の拠点を東京に移し、「大野敬正 with SHOGUN」を結成。「大野敬正 with SHOGUN」名義で2ndアルバム『SAMURAI』を制作。 同年フランス・ルクセンブルクツアーを実施。 2009年、ヨーロッパ4カ国(フランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)をまわるツアーでは全会場チケットが完売。三味線の固定観念を打ち破るエンタテインメントなステージが反響を呼び、海外メディアから取材が殺到。注目を集める〔欧州メディアからは「三味線ロックンローラー」「三味線サムライ」などと愛称が付けられ15社を超える取材を受けた。〕。 2010年、フランス・ドイツツアーを実施〔RFI(ラジオ・フランス・アンテルナショナル)や、マルセイユで開催されたJapan Expo Sud 2010への出演、またフランス国鉄の協力により、地下鉄構内での演奏やTGV車内でのライヴも実施された。 〕。 同年2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ共和国大会においては日本代表のアーティストとして国際サッカー連盟(FIFA)会長のゼップ・ブラッターら関係者が出席するレセプションパーティーにてライヴパフォーマンスを披露した。 2011年、フランスのレーベルよりアルバム『KAMOME』で欧州デビュー。 Japan Expo 2011のメインステージでは最終日のトリをつとめ、3千人超のオーディエンスが熱狂し華々しいデビューを飾った。 震災復興支援チャリティーコンサートを開催したフランス・トゥルニュ市ではその功績により市長より勲章を授与され、その後4カ国18公演のヨーロッパツアーも大成功におさめた。 また同年、ワールドカップで優勝した女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」のダイジェスト映像に楽曲「奇跡」が起用。iTunes国内売り上げ3位のセールス(純邦楽界では異例ともいえる)記録を残した。 2012年、活動の拠点をパリにも築く。以降、日本はもとよりヨーロッパ各国での演奏活動の他、北アフリカ、中東地域にまで活動範囲を広げた。 2013年、アルバム『Spark』『敬』を2枚同時リリース。 同年、エチオピア アディスアベバで開催されたTICAD V 第五回アフリカ開発会議準備会合のサイドイベントにおいては、アフリカ54ヶ国の外務大臣や関係閣僚らを前に〔日本からは岸田外務大臣が出席〕、エチオピア国立民族舞踏団とのコラボレーションを披露。日本や日本文化への関心を喚起することに貢献した〔在エチオピア日本国大使館 広報文化班「TICAD閣僚級準備会合における津軽三味線公演」より。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/local/pdfs/ticad1307.pdf〕。 2014年、ロックバンドURUSHIを結成。同年、パリで開催された経済協力開発機構(OECD)閣僚理事会議レセプション〔36年ぶり2度目の議長国を努めた日本は「失われた20年」といわれた日本経済の再生復活を印象付けるため、伝統芸能や食など、文化の発信に力を注いだ。 〕にてアンヘル・グリア事務総長およびG7参加国を含め先進34ヶ国の要人ら〔日本からは、 茂木経産大臣、岸田外務大臣、甘利経済財政政策担当大臣、林農水大臣らが出席〕を前に演奏。先進国の要人を前に日本文化への関心を喚起することに貢献した。 また、アフリカ・ジブチ共和国公演の際にはソマリア沖の海賊対策として活動する自衛隊(派遣海賊対処行動航空隊 )を訪問し、演奏。労をねぎらった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大野敬正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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