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大野窟古墳(おおのいわやこふん)は、熊本県八代郡氷川町大野にある前方後円墳。国の史跡および熊本県指定史跡に指定されている。 熊本県では最大規模の古墳で、6世紀後半(古墳時代後期)の築造と推定される。国内最大の高さを測る巨石の横穴式石室が知られる。 == 概要 == 熊本県中央部、大野原台地上に位置する大型前方後円墳である。「大野」は地名。2003-2008年度(平成15-20年度)に測量調査および発掘調査が実施されている〔。 墳形は前方後円形で、前方部を南方に向ける〔墳形はかつて円形とされていたが、2003-2008年度の調査により前方後円形と改められている。〕〔。特に前方部前端が突出するという「剣菱型」の形状を示す〔。墳丘は2段築成〔。墳丘長は約123メートルを測り、熊本県では最大規模になる。墳丘周囲(前方部前面除く)には盾形周濠が巡らされ、幅は後円部側で約12メートルを測る〔。前方部前面では周濠の代わりに土坑(祭祀に関係か)が並ぶという珍しい様式を有する〔。主体部の埋葬施設は複室の両袖式横穴式石室で、内部に家形石棺1基・屍床2基を有し、南西方(くびれ部方向)に開口する〔。この石室は高さ6.5メートルを測り、高さの点では国内最大規模になる〔。石室内部の発掘調査は実施されておらず副葬品は明らかでないが、出土品としては、前述の周濠土坑から須恵器や新羅系の陶質土器が、墳丘から笠形石製表飾が検出されている〔。 この大野窟古墳は、石室の特徴や出土品から6世紀後半(古墳時代後期)の築造と推定される〔。同時期の九州地方では、岩戸山古墳(福岡県八女市、墳丘長138メートル)に次ぐ規模になる〔。なお、氷川町内では大野窟古墳に先立つ6世紀前半頃の古墳群として野津古墳群(氷川町野津)も知られ、大野窟古墳および野津古墳群の被葬者に関しては、肥後地方を拠点にした有力豪族の火君(ひのきみ、肥君)一族と推定する説がある〔。 古墳域は1985年(昭和60年)に熊本県指定史跡に指定され〔、2013年(平成25年)には国の史跡に指定されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大野窟古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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