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大銀杏(おおいちょう)とは、大相撲の十両(十枚目)以上の力士(関取)が結うことができる髪形である。髷(まげ)の先端が大きなイチョウの葉に似ていることからこの名がある。 == 概要 == 江戸時代、男性の髪形として一般的だった髷を「銀杏髷」(または銀杏頭)と呼んでおり、この髷の部分を大きな体躯にあわせて大きく結った、もしくは形容した髷である。大銀杏は大相撲の十両以上の力士が結うことができる髪形である。ただし、幕下以下の力士でも、十両との取組がある場合や、弓取式、巡業時の初切、床山の練習台、及び断髪式を行う際には結うことができる。 関取でも大銀杏は正式なときにのみ結うものとされており、稽古時など普段の髪形は丁髷である。力士の大銀杏は江戸時代に武士の間で見られたものとは異なり、前頭部は剃られず月代(さかやき)にはなっていない。 大銀杏を結いやすくするために頭の上部の髪を剃ることを「中剃り」(なかぞり)と言う。髪の量が多い・密度が高い力士は床山が結いにくいのでこれを行う。1953年3月場所7日目の栃錦 - 若乃花戦は水入りの大相撲になったが、取組中に栃錦の髷を結っていた元結が切れてざんばら髪となり、中剃りをした頭頂部があらわになった〔なおこのような場合、力紙をこよりにして応急処置をするのが慣例になっている。〕。この時はじめて中剃りのことを知った相撲ファンも多かったという。中剃りをしていた力士でも引退間近には、断髪後のことを考えて剃らなくなることが多い。 髷そのものが日本人の髪質にあったものであるため、外国人力士は結うのに苦労することがある。床山の証言によると、把瑠都は髪が弱くて切れやすいので櫛を通す時に気を遣ったと言い、また小錦の場合は強い縮れがあったためストレートパーマをかけたとされる。特にトンガ出身力士はチリチリの剛毛であるため櫛も通らないほどの絡み方であったという〔『相撲』2013年3月号73頁〕。 原則として、関取は取組を行う際、大銀杏を結って土俵に上がることが義務付けられている〔相撲規則力士規定第3条。〕。俗に「大銀杏が結えないほど頭髪が衰えた関取は引退しなくてはいけない」と言われることがあるが、これは誤解である。昭和の春秋園事件で日本相撲協会を離脱、のちに復帰した力士や、近年でも学生相撲出身力士などで出世が早くて髪の伸びが追いつかなかった者などが、ざんばらや丁髷姿で十両や幕内の土俵を務める例がある〔十分に髪が伸びるまで土俵生活を続けた力士の中にも、力櫻などのように一度脱走しかけた際に髷を切って土俵に戻った際にザンバラで上がる者もいる。また、琉王のように夜間部の高校に通学するため入門してからも高校卒業まで髷を結わなかった者もいる。〕。因みに、元横綱・曙の証言によると「頭頂部が禿げていても後頭部に毛髪が残っていれば大銀杏は結える」とのことである〔『大相撲のぶっちゃけ話』(曙太郎著/宝島社)〕。横綱土俵入りで露払いや太刀持ちを務める力士は大銀杏を結わなければならないという暗黙のルールがあるため、結えない力士はこれらを務めることができない。 相撲規則勝負規定第9条では、「頭髪が砂についた時は負けである。しかし、相手を倒しながら、瞬時 早く髪がついた時は負にならない」と定められている。つまり、投げの打ち合いになった場合は、ギリギリまでこらえた側の勝ち。1980年9月場所7日目の高見山 - 貴ノ花戦は、土俵際で高見山の小手投げと貴ノ花の掬い投げの打ち合いとなり、物言いの末貴ノ花の髷が先についたとして高見山の勝ちとされたが、この場合同条項の後半部分が適用されるべきではなかったかという意見もある。 また相手の髪をつかむことは反則である〔審判規則禁手反則第1条2項。〕。髷をつかんでの反則負けは、1955年に規定ができて以来2016年1月場所の宝富士 - 豪栄道戦まで十両以上で40例あるが、うち30例が2003年以降と増加の傾向にある。反則を厳密にとるようになったことや、はたき系の技が増えていることが要因とされる〔読売新聞2014年5月25日付、31面〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大銀杏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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