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大関 増栄(おおぜき ますなが)は、江戸時代の大名。下野黒羽藩の第5代藩主。 == 略歴 == 寛永16年(1639年)、第3代藩主・大関高増の次男として生まれる。正保3年(1646年)に父が死去すると、兄の増茂が家督を継いだ。このとき、兄より1000石を与えられて交代寄合となる。寛文2年(1662年)に増親が嗣子無くして早世すると、その養子となり跡を継いだ。 寛文4年(1664年)12月に従五位下、信濃守となる。寛文11年(1671年)3月には大坂加番に任じられた。 貞享5年(1688年)6月21日(異説として7月23日)に江戸藩邸にて死去した。享年50。子の増茂は早世していたため、嫡孫の増恒が跡を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大関増栄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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