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大関 政増(おおぜき まさます、1591年(天正19年) - 1616年7月13日(元和2年5月30日))は、江戸時代前期の大名。下野国黒羽藩の第2代藩主。初代藩主・大関資増の長兄・大関晴増の長男。母は白河義親の娘。正室は水野重央の娘しゃむ姫。子に大関高増(長男)、大関増広(次男)、娘(那須資重継室)、娘(浄法寺茂明室)。通称は弥平次。 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは徳川氏に対する証人(人質)として江戸に赴いた。慶長10年(1605年)、叔父の資増から家督を譲られた。慶長19年(1614年)、里見忠義が改易されると、館山城の守備を務めた。 同年冬からの大坂冬の陣では、徳川方に与して本多正信に属した。翌年の大坂夏の陣では、敵の首を97個取った。 元和2年(1616年)5月30日、26歳の若さで死去した。法名は霊照院殿顧岑道鑑大居士。墓地は栃木県大田原市(旧黒羽町)の大雄寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大関政増」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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