|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 大阪市 : [おおさかし] (n) Osaka city ・ 市 : [し] 1. (n-suf) city ・ 交通 : [こうつう] 1. (n,vs) communication 2. transportation 3. traffic 4. intercourse ・ 通 : [つう] 1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. ・ 局 : [きょく, つぼね] 【名詞】 1. court lady 2. lady-in-waiting ・ 形 : [けい, かたち, ぎょう] 1. (suf) shape 2. form 3. type ・ 電車 : [でんしゃ] 【名詞】 1. electric train ・ 車 : [くるま] 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel
大阪市交通局1001形電車(おおさかしこうつうきょく1001がたでんしゃ)とは、大阪市交通局が保有していた路面電車車両である。登場時期の違いによって、1920年 - 1921年にかけて製造された1001形(初代)と、1922年 - 1924年にかけて製造された1081形の2形式に分かれるが、このページでは両形式を併せて紹介する。 == 登場前史 == 明治・大正期の大阪市は、江戸期以来の日本経済の中心地であると同時に、明治以降には海岸部を中心に造船や機械などの重工業がいち早く立地したことから、「東洋のマンチェスター」と呼ばれる日本最大の工業都市となった。このように、大阪市では急速に近代都市への脱皮が進んだために、都市インフラの整備が求められるようになったことから、その財源のひとつとして電車事業に乗り出した。同時期の東京をはじめとした他都市では、民間企業が電車事業を行っていたが、大阪市では、「市電のような公共性の高い交通機関は営利中心の民間企業に任せるべきではなく、都市経営の一環として直営で運営すべきである」といった考えのもと、市直営で路面電車事業を開業した。つまり、最初に都市計画のマスタープランを定めて、それに沿いながら道路を拡幅して市電を敷設・開業し、その収益でまた道路を拡幅して市電を開業する、といったサイクルを繰り返すことで、1903年の市電第一期線の開業から10年あまりの間で主要幹線道路の拡幅と市電の建設を実施し、市電ネットワークの基礎を形作った。この手法は、後に「市営モンロー主義」として非難・嘲笑されるが、後年、東京をはじめとした各大都市の市内電車が市営化されたことでも分かるように、当時の脆弱な民間資本では都市の発展に応じて市電の路線延長を行うことや都市計画に沿った形で市電ネットワークを形成することは困難であった。しかし、大阪市では、市電の建設を都市計画の一環として行政主導で行ったことが、結果的に電車以外の都市インフラも含めた総合的な都市基盤整備につながったのである。 実際、市内中心部の南北線(四ツ橋筋)、東西線(長堀通)の開業以降、市電の乗客は増加し、これら第二期線に続いて堺筋線、曽根崎天満橋筋線、九条高津線、上本町線などの第三期線が開業する明治末年以降には、市電はすっかり市民の足として定着して、増える一方の利用客をさばくために、明治末期から大正の初めにかけてボギー車の501形、601形が登場した。その後も都市化が進む周辺地域に向けて第四期線の建設が進められようとしており、1001形は、このような時期に大阪市電初の大型3扉ボギー車として登場した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大阪市交通局1001形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|