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大阪市交通局801形電車(おおさかしこうつうきょく801がたでんしゃ)は、大阪市交通局が保有していた路面電車車両で、1932年~1936年にかけて、1001形(初代)を鋼体化改造した80両と、同型の車体で新造された10両の合計90両が登場した。鋼体化改造車の中には、後の901形と同一の車体を持ち、後年901形に編入された車両も存在するが、登場当時は801形の続番であったので、このページでは改造当時から編入までの歩みを紹介する。 == 登場前史 == 大正末期から昭和初期にかけては日本におけるモータリゼーションの揺籃期であった。当時の社会・経済状況から個人所有のマイカー普及とまではいかなかったが、トラックやバス・タクシーといった商業用の車両は比較的速く普及し、人力や畜力の輸送手段を置き換えつつあったほか、路面電車や地方小鉄道にとって手強い競争相手に成長しつつあった。大阪市においても、市電と1924年から営業を開始した民営の大阪乗合バス(青バス)との競争が激化し、更に、1929年からは1927年の創業以来、市電の路線エリア外で走っていた市バスも市内路線に入ってきて三つ巴の競争が繰り広げられるようになった。そこに追い討ちをかけたのが昭和初期の大恐慌で、不況とモータリゼーションのダブルパンチによって乗客数が減少したことから市電の収益は低下、1931年には開業以来初の赤字決算となり、翌1932年には赤字幅が増大してしまった。 ここにおいて、大阪市電気局も市電の経営合理化を図るようになった。これまで増備してきた1601形などの車掌2人乗務の3扉大型車では、乗客数が減少している状況では人件費がかかって収支が合わないことと、幹線以外の系統では、ラッシュ時以外は大型車を必要とするような乗客数ではないことから、2扉の中型車を投入することとした。また、1920年から1921年にかけて登場した1001形(初代)は、車体重量が過大だったこともあって車体の垂下や緩みに悩まされていたことから、同形を鋼体化改造して修繕費を節減することも併せて検討された。そこで、事故で車体を焼失した1044号の台車・電装品を活用して、1932年7月に福町車両工場において中型ボギー車の801号が登場した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大阪市交通局801形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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