|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 大阪市 : [おおさかし] (n) Osaka city ・ 市 : [し] 1. (n-suf) city ・ 市立 : [しりつ] 1. (n,adj-no) municipal 2. city ・ 十 : [とお] 1. (num) 10 2. ten ・ 十三 : [じゅうさん] 【名詞】 1. 13 2. thirteen ・ 三 : [み] 1. (num) three ・ 小学 : [しょうがく] 【名詞】 1. grade school ・ 小学校 : [しょうがっこう] 【名詞】 1. primary school 2. elementary school ・ 学 : [がく] 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge ・ 学校 : [がっこう] 【名詞】 1. school ・ 校 : [こう] 1. (n,n-suf) -school 2. proof
大阪市立十三小学校(おおさかしりつ じゅうそうしょうがっこう)は、大阪府大阪市淀川区にある公立小学校。阪急電鉄十三駅の東側を校区とする。 1922年に神津尋常高等小学校(現在の大阪市立神津小学校)の分校として発足し、1926年に独立校となった。その後児童数の増加により大阪市木川尋常小学校(現在の大阪市立木川小学校)を分離している。2000年代時点では、1学年1学級の小規模校となっている。 == 沿革 == 学校所在地周辺は大正時代まで西成郡神津町に属していた。神津町では、大阪市街地の北部に近接する地理条件であったことに加え、十三駅の開業などにより人口が増加し、住宅地へと変化していった。 そのため神津町大字小島(現在地)に1922年7月5日、西成郡神津尋常高等小学校小島分校を設置した。この時に設置された小島分校が、現在の十三小学校の前身となっている。 神津町は1925年に大阪市に編入された。神津町大字小島は東淀川区十三東之町へ改称した(1974年淀川区十三東となる)が、引き続き小島分校と称した。編入後の1926年12月に小島分校が独立し、大阪市十三尋常小学校として開校した。さらに児童数が増加したため、1936年11月1日付で木川を校区から分離し、大阪市木川尋常小学校(現在の大阪市立木川小学校)が独立している。 1941年には国民学校令により、大阪市十三国民学校に改称した。 太平洋戦争の戦局悪化により、大阪市の国民学校では1944年以降学童疎開が実施されることになった。学童集団疎開は各行政区ごとに疎開先の府県が指定された。東淀川区(現淀川区の区域含む)の小学校では大阪府北摂方面が疎開先として割り当てられ、十三国民学校では大阪府豊能郡南豊島村・中豊島村(いずれも現在の豊中市曽根・服部付近)に集団疎開を実施した。学童疎開は終戦後の1945年10月まで続いた。 1947年の学制改革により、大阪市立十三小学校となった。2009年末には新校舎が完成し、2010年1月より使用を開始している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大阪市立十三小学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|