|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 大阪市 : [おおさかし] (n) Osaka city ・ 市 : [し] 1. (n-suf) city ・ 市立 : [しりつ] 1. (n,adj-no) municipal 2. city ・ 江 : [こう, え, ごう] 【名詞】 1. inlet 2. bay ・ 小学 : [しょうがく] 【名詞】 1. grade school ・ 小学校 : [しょうがっこう] 【名詞】 1. primary school 2. elementary school ・ 学 : [がく] 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge ・ 学校 : [がっこう] 【名詞】 1. school ・ 校 : [こう] 1. (n,n-suf) -school 2. proof
大阪市立大江小学校(おおさかしりつ おおえ しょうがっこう)は、大阪市天王寺区にある公立小学校。 1874年に当時の東成郡天王寺村に開設された学校を起源としている。天王寺区ではもっとも歴史の古い学校の一つである。現在の大阪市立天王寺小学校とは起源を同じくし、1903年に天王寺・大江の2校に分離した。 == 沿革 == 明治時代初期の学制発布により、当時の東成郡天王寺村烏橋に1874年6月2日、第五大区一小区一番小学校が開校した。この時に開校した一番小学校が、大江小学校の起源となる。学校の場所は四天王寺庚申堂の西側付近と推定されているが、正確な位置は明らかではない。 1890年には四天王寺より学校用地700坪の寄付を受け、1891年7月には現在地に移転している。 1897年4月1日の大阪市第一次市域拡張により、天王寺村のうち大阪鉄道より北部・西部については大阪市に編入合併されることになった。これに伴い大阪市天王寺尋常高等小学校へと改称した。 天王寺尋常高等小学校は1903年9月2日、同一敷地内で大阪市天王寺第一尋常高等小学校(現在の大阪市立天王寺小学校)と大阪市天王寺第二尋常小学校(現在の大阪市立大江小学校)の2校へ分離した。敷地の共用は20年近く続き、天王寺第一小学校は1920年4月に現在地に移転している。 1909年には大阪市天王寺第四尋常小学校(現在の大阪市立聖和小学校)が開校したことに伴い、校区の一部を天王寺第四小学校校区へと変更した。また1920年には天王寺第六尋常小学校(のちの桃丘国民学校〔太平洋戦争の戦災被害により、1946年五条国民学校に統合し廃校。〕)の開校に伴い校区の一部を天王寺第六小学校校区へ変更している。 天王寺地域では1939年、従来の「天王寺+創立順の番号」での学校名をやめ、所在地の地名などに基づく学校名へと一斉に改称することにした。これに伴い大阪市大江尋常高等小学校へと改称している。 1941年には国民学校令により、大阪市大江国民学校へと改称した。太平洋戦争の影響で大阪市の国民学校では学童集団疎開を実施することになり、大江国民学校でも1944年以降大阪府中河内郡縄手村・英田村(現在の東大阪市東部)へと疎開を実施した。さらに1945年には、島根県飯石郡三刀屋町(現在の雲南市)への再疎開を実施している。 太平洋戦争の戦災により、終戦直後の1946年には、現在の上本町9丁目付近にあった上本町国民学校(東平野第三尋常小学校)を統合した。上本町国民学校は1925年、大阪市東平野第三尋常小学校として創立〔大阪市東平野第一尋常高等小学校(現在の大阪市立生魂小学校)より分離。〕し、1941年に大阪市上本町国民学校に改称している。1945年3月13日の第一次大阪大空襲で校舎を全焼した。 学制改革により、1947年に大阪市立大江小学校へと改称している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大阪市立大江小学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|