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大阪市立東洋陶磁美術館 : ミニ英和和英辞書
大阪市立東洋陶磁美術館[おおさかしりつとうようとうじびじゅつかん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大阪市 : [おおさかし]
 (n) Osaka city
: [し]
  1. (n-suf) city 
市立 : [しりつ]
  1. (n,adj-no) municipal 2. city 
: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東洋 : [とうよう]
 【名詞】 1. Orient 
陶磁 : [とうじ]
 (n) clay
: [び]
  1. (n,n-suf) beauty 
美術 : [びじゅつ]
 【名詞】 1. art 2. fine arts 
美術館 : [びじゅつかん]
 【名詞】 1. art gallery 2. art museum 
: [すべ]
 【名詞】 1. way 2. method 3. means
: [やかた, かん, たて, たち]
 【名詞】 1. (1) mansion 2. small castle 3. (2) boat cabin

大阪市立東洋陶磁美術館 : ウィキペディア日本語版
大阪市立東洋陶磁美術館[おおさかしりつとうようとうじびじゅつかん]

大阪市立東洋陶磁美術館(おおさかしりつとうようとうじびじゅつかん)は、大阪府大阪市北区中之島一丁目にある美術館住友グループから寄贈された安宅コレクション(あたか - )と呼ばれる東洋陶磁コレクションを核として1982年(昭和57年)に設立。
== 概要 ==
高麗朝鮮時代の朝鮮陶磁、中国陶磁を中心に、国宝 2件、国の重要文化財 13件を含む約4000点が収蔵されている。この珠玉のコレクションは、安宅コレクションを中心に、他のコレクションからの寄贈や購入を加えて、徐々にその数を増していったものである。
安宅コレクションは、1977年(昭和52年)に経営破綻した大手総合商社安宅産業株式会社および創業家二代目の安宅英一会長が収集したものである。発端は、1951年(昭和26年)安宅産業の取締役会で、企業利益の社会還元と社員教養の向上のため、美術品収集を会社事業の一環として行うことが正式に決議したことによる。この構想を練り、首脳陣に根回しして実現させたのが安宅である。安宅英一は社業の傍ら東洋陶磁のコレクション形成に心血を注ぎ、他のコレクターの名品も次々とここに収集していった。その総額は二十数年間で七十数億円にも上る。そのため特に初期には、世間から金にあかせて買いまくっているという批判も強かったが、実際には異なる。あくまで会社のコレクションのため、購入には月々の購入限度額が決まっており、会社の了解を取らねばならなかった。名品が出てきた時には資金を1年先、2年先まで先食いしていたのが実際の所で、これが改善されたのは会社の景気が良くなった昭和40年代後半頃だという〔「大阪市立東洋陶磁美術館 艦長インタビュー 」『「美の求道者・安宅英一の眼─安宅コレクション」展図録。』、p.245。〕。
安宅産業は1977年(昭和52年)10月1日に伊藤忠商事に吸収合併され、伊藤忠商事が引き受けない残存財産のうち、2000億円余りを住友銀行(現三井住友銀行)を含め16行で吸収合併前日に一斉償却し、残る約3000億円は受け皿会社エーシー産業1977年(昭和52年)4月に設立し、東洋陶磁コレクションも引き継がれた。しかし貴重で体系的なコレクションの散逸を惜しむ各方面の意見により、1980年(昭和55年)3月に住銀頭取磯田一郎は公共機関に寄托することが最もふさわしいと判断し、大阪市への寄贈を決めた。大阪市の負担を回避するために、住友銀行を中心とした住友グループ21社の協力のもと、965件、約1000点の買い取り資金が1982年(昭和57年)3月までの2年間に、総額152億円を大阪市の文化振興基金に寄付し〔このスキームを利用すれば法人税法上、寄付をした全額を損金として処理できるため、この寄付に応じた各社にとっても税負担の圧縮等メリットがあった〕、その寄付金で大阪市が買い取ることにした。美術館の建築資金18億円は、基金への寄付金の積み立てに伴う運用利息で賄った〔西川善文『ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録』(講談社、2011年) ISBN 978-4-06-216792-5 第二章 宿命の安宅産業 p85-97を参照。〕。
詳しい経緯は、安宅英一の側近で初代館長の伊藤郁太郎が、『美の猟犬 安宅コレクション余聞』(日本経済新聞出版社2007年)で回想している。伊藤によると、安宅は経営危機でコレクションへの発言権を失っていく最中に、「会社のためなら、安宅コレクション一切を投げ出してもよいのですよ。それで会社が救われさえすれば…」と漏らしていたという。また、東洋陶磁美術館開館後に館を訪れた安宅に、伊藤が「あれほど一生延命お集めになったコレクションが、人出に渡ってしまって、さぞお口惜しいことでしょう。お気落としになっておられるでしょうね、と慰めて下さる方が多いです。」と言うと、安宅は「コレクションは、誰が持っていても同じでしょう」と答え、コレクションがどのような結末を迎えようが、コレクションとして続く限りその価値は変わらないという、安宅のコレクターとしての境地を示している〔伊藤郁太郎 「ものとして 語らしむ─安宅英一の美学」『「美の求道者・安宅英一の眼─安宅コレクション」展図録。』、p.230。〕。
寄贈された安宅コレクションは965件で、その内訳は以下のとおりであった〔伊藤郁太郎「20年の歩み」『大阪市立東洋陶磁美術館20年史』、2002〕。
* 中国陶磁 144件(から43、33、68)
* 朝鮮陶磁 793件(高麗陶磁304、朝鮮陶磁485)
* その他 28件(ベトナム陶磁5、日本陶磁2、中国工芸5、朝鮮工芸10、日本工芸その他6)
朝鮮陶磁は数も多い上に作風も多様で、今日成し得るコレクションとしては歴史的変遷、陶芸技法による分類の上でもほぼ完全で、私的なコレクションとしては世界第一と言って良い。一方、中国陶磁については名品主義的で質は極めて高いが、代陶磁が1点もないなど陶磁史的には不完全である。また、展示公開は厳選主義で行っているため、安宅コレクションは名品ばかりと思われている面もあるが、実際にはあまり人に見せたくない作品も混じっているという。
1982年(昭和57年)に美術館の開館した後も、さらに複数のコレクターからの寄贈を受け、特に1999年(平成11年)には在日韓国人実業家李秉昌からの寄贈で、多くの朝鮮陶磁の名品が所蔵された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大阪市立東洋陶磁美術館」の詳細全文を読む




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