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大阪市立海老江西小学校(おおさかしりつ えびえにししょうがっこう)は、大阪府大阪市福島区にある公立小学校。 戦前の外交関係が緊迫し始めていた1927年にアメリカから贈られた「青い目の人形」が1989年に発見され、話題となった〔戦後70年 米国から日本に渡った「青い目の人形」 - 大阪市立海老江西小学校〕。 また校内には、21基の水槽で淀川水系の魚約30種類を飼育する「海老江西水族館」が整備されている。 == 沿革 == 西成郡鷺洲第一尋常小学校(現在の大阪市立鷺洲小学校)から分離する形で、当時の西成郡鷺洲町で3番目の公立小学校・西成郡鷺洲第三尋常小学校として1914年に開校した。 開校の際、鷺洲第一小学校の塚本分校を、鷺洲第三小学校分校として継承している。分校は淀川北岸の鷺洲町大字塚本(現在の西淀川区柏里および淀川区塚本付近)および海老江新家(現在の西淀川区花川付近)在住の1-2年生児童が通学していた。分校は1924年に西成郡鷺洲第五尋常小学校(現在の大阪市立柏里小学校)として独立している。 1924年には高等科を併設し、西成郡鷺洲第三尋常高等小学校となった。翌1925年には鷺洲村が大阪市に編入し、大阪市鷺洲第三尋常高等小学校と称した。 また1933年には校区の一部を、新設の大阪市鷺洲第六尋常小学校(現在の大阪市立海老江東小学校)の校区へと分離した。 1934年9月には室戸台風の被害に遭い、一部校舎が使用不能となった。このため校舎復旧までの一時期、三部授業や鷺洲第六小学校の教室の間借りをおこなっている。 1940年には鷺洲地域の各小学校に設置されていた高等科を集約して、西淀川区浦江上3丁目(現在の福島区鷺洲6丁目)・大日本紡績社宅跡に、高等科単独の小学校・大阪市鷺洲高等小学校(1941年国民学校令により大阪市八阪国民学校に改称)を新設した。これに伴い、高等科を鷺洲高等小学校へと移管している。鷺洲高等小学校(八阪国民学校)は学制改革で廃止になり、跡地は大阪市立八阪中学校となっている。 1941年には国民学校令により大阪市海老江西国民学校と改称した。太平洋戦争の戦局悪化により1944年以降学童集団疎開を実施することになった。大阪市の国民学校では各行政区ごとに疎開先の府県が指定され、福島区の国民学校では広島県方面への疎開が割り当てられた。海老江西国民学校では、広島県御調郡市村・河内村・上川辺村・今津野村(以上、御調町を経て現在の福山市)および下川辺村(現在の府中市)に疎開を実施している。 学制改革により、1947年に大阪市立海老江西小学校となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大阪市立海老江西小学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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