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大阪府立放射線中央研究所(おおさかふりつ ほうしゃせん ちゅうおうけんきゅうしょ)は、大阪府堺市にあった放射線研究所である。略称は大放研(だいほうけん)または、放中研(ほうちゅうけん)とも。英名は当初 Radiation Center of Osaka Prefecture だったが、のちに Osaka Prefectural Radiation Research Institute と改められた。1959年に発足。初代所長は木村毅一・京都大学教授。1990年に大阪府立大学と統合され、大阪府立大学附属研究所となるまで存続した。所在地は大阪府堺市新家町174-16(現・学園町1-2)だった。諸施設はその後、大阪府立大学先端科学研究所を経て、大阪府立大学産学官連携機構・先端科学イノベーションセンター〔大阪府立大学産学官連携機構・先端科学イノベーションセンター 〕が受け継いでいる。 == 設立までの経緯 == * 1955年:日本政府が原子力基本法を制定。 * 1957年:大阪府は、産業における原子力の平和利用推進を求める社会的要請を受け、「大阪府原子力平和利用協議会」を設置した。 * 1958年:上記協議会が「放射線研究所」設置の必要性を答申した。大阪府定例議会において「大阪府立放射線中央研究所」の設置を可決し、京都大学理学部・木村毅一教授に具体的構想づくりが依頼された。 * 1959年:大阪府立放射線中央研究所条令公布。11月、大阪府立放射線中央研究所発足。 == 目的・規模 == 設置の目的は、放射線と放射性同位元素の総合的研究および利用の促進をはかり、大阪府下産業の振興と府民福祉の向上に寄与することであった。 敷地面積は43,342平方メートル、建物延べ面積は10,027平方メートルあった。当初の機構は、1958年8月に提案された「原子力平和利用施設に関する調査報告書」に基づく1959年11月施行の「大阪府立放射線中央研究所処務規定」によって定められた。 事務部門として総務部、研究部門として管理室(放射線管理・環境放射能測定・放射性廃棄物処理技術)、第1部(放射線物理学・放射線工学)、第2部(放射線化学)、第3部(放射線農学)、第4部(放射線生物学・放射線医学・放射線衛生工学)が設けられ、定員は120名だった。のちに、欠員不補充などにより、100名を割る程度まで削減された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大阪府立放射線中央研究所」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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