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大阪歌舞伎座(おおさかかぶきざ)は、かつて大阪府大阪市南区難波新地四番町(のち三番町に変更。現・中央区千日前)にあった歌舞伎劇場である。 松竹の興行が行われていたが、経営はその傍系会社であった千日土地建物(千土地興行を経て日本ドリーム観光に改称)が行ってきた。千日前交差点の角地に立地し、まだ高層建築物が少なかった当時の大阪で、地上7階建のビルディングは正面の巨大丸窓と共に異彩を放っていた。劇場自体はビルの1 - 4階部分を占め、東京・歌舞伎座よりも芝居が見やすく、スケールの大きな劇場として知られた。 == 上方歌舞伎の殿堂 == 東京・歌舞伎座を凌ぐ座席数と舞台設備を誇り、初代中村鴈治郎の人気も相まって、千日前楽天地の跡地にできたこの大劇場はまさに「上方歌舞伎の殿堂」と呼ぶに相応しい劇場であった。 にも拘らず実質26年で廃座に至ったのは、戦後の上方歌舞伎(関西歌舞伎)が衰退の一途を辿り、大劇場の維持が困難になってきたためとされる。ただ一方、戦前でさえ(本来ならば、この劇場を本拠地に活躍する立場だったはずの)初代鴈治郎の出演は東京から来演した役者との東西合同歌舞伎に出演が限定されるなど、当時の関西(京阪)の観劇人口に対して大きすぎる劇場であった点も無視できない〔権藤芳一著『上方歌舞伎の風景』(和泉書院)より〕。 難波に新歌舞伎座を別途建設して移転する形で閉鎖されたが、移転後経営主体であった千土地興行は程なく上方歌舞伎の興行を打ち切った。その後、新歌舞伎座では歌手芝居を中心とした興行が行われるようになった。一方、大阪での歌舞伎は道頓堀の大阪松竹座において再開。年に数回ながら、今日でも興行が継続されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大阪歌舞伎座」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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