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大阪百万円(おおさかひゃくまんえん、1963年5月6日 - )は、大阪府出身の俳優、お笑い芸人。 本名: 菊池 隆(きくち たかし)。 == 来歴・人物 == *高卒で入社した企業を退社後ビートたけしに1985年師事。たけし軍団の2軍的存在のたけし軍団セピアに在籍。 *名前の由来は、弟子入りの為に貯めた持参金が100万円であった事からで“大阪から100万円持って東京に来た”というストレートな意味から(本来は、この100万円を生活費に充て、たけしに純粋に芸を教えて貰いたいと思っていたが、先輩のそのまんま東、ダンカンを中心とした軍団メンバー達にたかられ、1週間で使い果たしたらしい)。 *たけし軍団の中でも若い印象のあるたけし軍団セピアの中ではひときわ芸人然とした佇まいであり、普段は極めて無口で、芸事をする時にだけ発する表情の豊かさと天性のリアクションは関係者に評判であった。そしてそのスタイル自体は浅草時代からのたけしの同僚で『毒針巷談』等の著作がある作家の井上雅義に「師匠のビートたけしの昔の頃とオーバーラップしていた」、「どこはかとなく深見千三郎師匠とも少し似た風貌」と評された。 *1985年から一気に開花した「ビートたけしのスポーツ大将」、「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」、「SUPER JOCKEY」を初めとするバラエティー番組黄金期でたけし軍団のスケジュール自体も過密になる中で、ただTVに露出する事のみのあり方に疑問を感じていた大阪百万円は(当時たけし一門で修業と言えば付き人“ボーヤ”だが、キドカラー大道のボーヤ長期化でその道も閉ざされていた)そこで松尾伴内以降途絶えていたビートたけしの出身であるストリップ劇場浅草フランス座での修行をたけしに直訴、当時フランス座にはたけし軍団とは別な方途で明日のビートたけしを目指すメンバーが居たが、そこでの直接間接に及ぶ先輩芸人のいじめ行為とも取れるしごきに耐えつつ1年後にたけし軍団へ復帰する。 *1986年、12月9日にビートたけしとたけし軍団10名に率いられ講談社を襲撃し暴行罪・建造物侵入罪・器物損壊罪で現行犯逮捕される(フライデー襲撃事件)。 *元々大阪百万円は制作サイドの評価も高く、軽演劇の経験も得て、「スーパージョッキー」でも彼を中心に企画を進める等、開花の舞台が整ったかと思われた矢先に些細な事から先輩のダンカンに暴力をサード長嶋と共に受ける。 *以前から続く理不尽なダンカンの先輩の立場をかさに着た後輩への暴力行為やその態度に嫌気がさした百万円と長嶋の二人は離脱を決意。理由として「2人でマンザイを組む」と取ってつけた様な理由を突然たけしに申し出る。前出の大阪百万円を中心とした各種新企画が進行する中であった為に現場は混乱、企画再調整を余儀なくされ、たけしも当時のオフィス北野社長森昌行も激怒。半ば追われる形で軍団を離脱した。 *その後サード長嶋は「どくだみ荘」でのコネクションから芝居の道を志向、劇団へ発展させる。大阪百万円は小規模な俳優事務所に籍を置き、名前もそのままにVシネマ等の端役で見かける事となったが、支払いの滞る所属事務所も後に度重なるトラブルから離れ、その後はショービジネスから離れてしまった様子。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大阪百万円」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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