|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 護国 : [ごこく] 【名詞】 1. defense of one's country 2. defence of one's country ・ 護国神社 : [ごこくじんじゃ] 【名詞】 1. shrine honoring war dead 2. shrine honouring war dead ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country ・ 神 : [かみ] 【名詞】 1. god ・ 神社 : [じんじゃ, かむやしろ] 【名詞】 1. Shinto shrine ・ 社 : [やしろ] (n) shrine (usually Shinto)
大阪護國神社(おおさかごこくじんじゃ)は、大阪府大阪市住之江区にある神社(護国神社)である。住之江公園および住之江競艇場に隣接している。正面鳥居は大阪府で最大の鳥居である。 ==歴史== 大阪府では、明治4年(1871年)4月10日に創設された真田山陸軍墓地の敷地内に招魂社が創建されたのが最初である。しかし、招魂祭は、西南戦争後は陸軍の拠点である大坂城内で、明治16年(1883年)以降は中之島に建立された明治紀念標〔明治紀念標は明治35年(1902年)に大手前の大阪偕行社敷地内に移設され、昭和18年(1943年)に供出されており、現存しない。〕前で、明治33年(1900年)以降は城東練兵場〔現在の大阪市城東区森之宮。大阪砲兵工廠の拡張に伴い、昭和15年(1940年)に中河内郡盾津町へ移転した。〕で行なわれていた。なお、正確な時期は不明であるが、真田山の招魂社は大正7年(1918年)までには廃絶されている。 招魂祭が長らく社前で行われなくなっていたことや、支那事変(日中戦争)勃発後に英霊崇敬の機運が高まりを見せたことから、昭和13年(1938年)に大阪府知事・大阪市長らが護国神社造営奉賛会を結成し、昭和15年(1940年)5月4日に鎮座祭が行われた。ただし、人材・資材の不足のため正式な社殿の建築をする事が出来ず仮社殿での鎮座であった。その後に正式な社殿の造営を行う予定であったが、大東亜戦争(太平洋戦争)の激化や敗戦後の混乱により着工出来ないままであった。昭和35年(1960年)に造営奉賛会が結成され、昭和38年(1963年)春に社殿が竣工し、5月29日に遷座祭が行われた。 敗戦後の一時期、GHQによる神道指令の影響下における存続対策として「浪速宮(なにわぐう)」と称していた。 *昭和45年(1970年)7月15日 昭和天皇と香淳皇后が親拝。 *昭和53年(1978年)5月31日 皇太子・皇太子妃(今上天皇・皇后)が参拝。 *平成21年10月には特攻勇士の像を建立。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大阪護國神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|