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大雅 アキラ(たいが アキラ、男性、1974年9月5日 - 1997年10月19日)は、日本のプロボクサー。本名は佐藤 晃(さとう あきら)。岩手県北上市出身。協栄ボクシングジム所属。黒沢尻工業高等学校卒業。〔「アマチュアレコード - 国民体育大会」、206頁。〕 == 来歴 == 1992年、第46回インターハイでバンタム級5位、べにばな国体少年の部にフライ級優勝〔などの成績を収め、第45回岩手日報体育賞を受賞した。〔岩手日報文化賞・体育賞 岩手日報 Web News〕 1993年5月24日、本名でプロデビュー戦を行い、初回KO勝利を収めた。同年8月16日、松倉義明(宮田)に4R判定負けを喫した。 1994年11月4日、東日本ジュニアバンタム級新人王トーナメント準決勝で大和心(帝拳)に4R判定勝利を収めた。同年12月17日、小林昭司(国際)に引き分け、勝者扱いで東日本ジュニアバンタム級新人王を獲得した。翌1995年2月18日、村上勇(三津山)に2RKO勝利を収め、全日本ジュニアバンタム級新人王を獲得した。続く5月14日の故郷凱旋試合よりリングネームを大雅アキラと改めた。 1997年10月13日、守部厚希(江坂)が返上して空位となった日本ジュニアバンタム級王座を、同2位として、1位松倉義明と決定戦で争い、7R2分25秒KO負けとなった。〔「'97年プロボクシング──パーフェクト・データ - 国内全試合結果/『ワールド・ボクシング』97年3月号〜98年2月号まで完全縮小版」、177頁。〕 この直後、頭蓋内出血によりリング上で失った意識を回復することなく、同月19日に死去した(リング禍)。〔「ボクシング百科全書 - リング禍」、188頁。〕〔芦沢清一「スタンディングカウントの廃止と前日計量について」、81頁。〕 本来、この王座は同年6月に松倉と名護明彦とで争われるはずであったが、名護の頬骨骨折による欠場を受け、大雅が出場していた。〔「松倉義明VS名護明彦 展望」、32頁。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大雅アキラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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