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朝鮮の農業について述べる。 朝鮮半島北部では畑作、南部では水田が多い。なお、朝鮮語では「田」という漢字は日本語の「畑」を意味する。「水田」を表すために朝鮮で独自に「畓」(답、タプ)という漢字が作られた(韓国における漢字#新製の文字)。なお、日本語の「畑」という漢字は日本で独自に作った国字である。朝鮮では稲作は、長い間、主に陸稲や水稲の直播栽培が行われ、田植え〔朝鮮語では모내기または이앙법(移秧法)という〕が広まったのは、李氏朝鮮後期になってからである。 == 歴史 == 朝鮮では、櫛目文土器時代中期(紀元前3500年から紀元前2000年頃)に雑穀などの小規模な栽培が始まったと見られる。無文土器時代(紀元前850年から紀元前550年頃)には南朝鮮で大規模な水田も作られた。稲の伝来経路については、北方から大陸を伝わって来たという説、山東半島から朝鮮半島中部に伝わったという説、中国江南から南海岸地方に伝来したという説の3説がある〔벼농사(稲農事) 한국민족문화대백과 〕。 土地制度としては、新羅では、、があった。高麗では、田柴科が制定されたが、後期には荘園が広がった。李氏朝鮮では、科田法、職田法が行われた。税制では、大同法、が行われた。 高麗までは、耕作地の地力を回復させるために定期的に耕作したり休ませたりを繰り返す休閑農法(휴한농법)〔휴한농법 한국민족문화대백과 〕が普通だったが、李氏朝鮮になって農業技術の進歩により、休まずに連作(이어짓기)するようになった〔이어짓기 한국민족문화대백과〕。休まず毎年耕作している耕地を正田(정전)〔정전 브리태니커 백과〕、耕作したり休んだりを繰り返している耕地を続田(속전)〔속전 브리태니커 백과〕、耕作を放棄した所を陳田(진전)〔진전 브리태니커 백과〕といった。 文禄・慶長の役の頃に日本からトウガラシやタバコが伝わった。1764年には、第11回朝鮮通信使の趙曮が、対馬からサツマイモを持ち帰り、救荒植物として朝鮮でも栽培されるようになった。朝鮮語でサツマイモを意味する「コグマ()」は、「孝行芋」の対馬方言「コーコイモ」、「コーコモ」、対馬北部方言の「コグマ」が伝わったものである。 李氏朝鮮後期には、三政の紊乱により、農民が苦しめられ、李氏朝鮮後期の農民反乱が多発した。 1906年に、韓国統監府が水原に朝鮮初の農業試験場である勧業模範場(권업모범장)を設けた。日本統治時代の朝鮮では、土地調査事業により土地制度が近代化された。また産米増殖計画により、水利施設の建設、品種改良、化学肥料の導入、など農業の近代化が進められ、収穫高が大きく増加した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝鮮の農業」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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