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大音 龍太郎(おおど りゅうたろう、天保11年2月19日(1840年3月22日) - 大正元年(1912年)11月23日)は、幕末から明治初期の地方官僚。字は厚龍。厳しい統治で「首切り竜太郎」と恐れられた。 == 生涯 == 大音龍太郎は、近江伊香郡大音村(現滋賀県長浜市木之本町大音)で代々柳ヶ瀬の関守の家に生まれた。父周倫は医者で、龍太郎は少年の頃より政治家を志したという。叔父大岡松堂に漢詩を、京都の岩垣月州に儒学を学び、後に江戸の昌平黌に入り岡山藩校の教授となった〔「滋賀県百科事典」(滋賀県百科事典刊行会 大和書房 1984年)〕。岩倉具視に認められ、明治元年(1868年)上野の巡察使となり、軍監兼岩鼻県知県事に任命されたが、厳しい統治から半年で失脚した。 岩鼻知県事として、上野は博徒の本場であることから龍太郎は片っ端から引捕、次々に斬首刑とした。ひどい時には日に80余級にもなり、人々は「首切り龍太郎」と恐れた。ある日龍太郎は手入れがまったくなされず、雑草が伸び放題の畑を見て、ここの農夫は「怠け者だ」として処刑した。これを聞いた政府はあまりの過酷さに龍太郎を更迭したと伝えられる〔人物の神髄 大音龍太郎 (伊藤銀月著 日高有倫堂 1909年) - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー〕。なおこの頃上野に隠棲していた小栗忠順を処断した黒幕は龍太郎ではないかとも言われている。 この後、明治2年(1869年)に彦根藩大参事(一部資料では少参事〔近江人物志 大音龍太郎 (滋賀県教育会 滋賀県教育会編 文泉堂 1917年) - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー〕)となる。廃藩置県後は大蔵省に出仕し、台湾出兵にあたって設置された蕃地事務局に出向してJames Kent ''Commentaries on International Law''の翻訳に携わっている。琵琶湖と日本海を繋ぐ運河建設を計画するが頓挫し、失意の内に大正元年(1912年)11月23日に死去した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大音龍太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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