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大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は、徳島県鳴門市大麻町板東にある神社。式内社(名神大社)、阿波国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 通称として「大麻さん」とも呼ばれ、阿波国・淡路国両国の総鎮守として、現在は徳島県の総鎮守として信仰を集める。境内は大麻山県立自然公園に指定されている。 == 祭神 == ; 主祭神 * 大麻比古神 - 天太玉命(あめのふとだまのみこと)のこととされる ; 配祀神 * 猿田彦大神 - 古くから大麻山に祀られており、のちに合祀されたされる 『日本の神々 -神社と聖地- 2 山陽・四国』(以下、『日本の神々』)〔谷川健一 編 『日本の神々 -神社と聖地- 2 山陽・四国』 株式会社白水社 1984年10月 より。〕によれば、古くは室町時代成立の『大日本国一宮記』にあるように祭神は猿田彦大神とされ、文化12年(1815年)の『阿波国式社略考』にも見られるように、概して卜部系の考え方は猿田彦大神で統一されているのだと言う。『日本の神々』では、これに対し、神社・神主の側では享保14年(1729年)と宝暦4年(1754年)に郡代奉行へ「御神体猿田彦大神と崇め奉り候ふ儀、なおまた秘説これあり候へども・・・」と上書したように、猿田彦大神は大麻山山頂にあったのを合祀したもので本来の主祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)であると、猿田彦大神を暗に否定して阿波忌部氏の祖神に付得する努力を続けてきたようだ、と述べている。 『日本書紀』の神代巻では阿波忌部氏の遠祖は天日鷲命であるとし、『古語拾遺』では天富命(あめのとみのみこと)をして、天日鷲命の孫を率いて、肥饒の地を求めて阿波国に遣わし、穀・麻の種を殖わせしめたとしているが、『日本の神々』によると阿波国の国学者野口年長は、安房国下立松原神社に伝わる忌部氏系図から、大麻比古命は天日鷲命の子でまたの名を津咋見命(つくいみのみこと)と言い、その娘は千鹿江比売命(ちかえひめのみこと)であるとの説を提唱したのだと言う。 明治時代以前は猿田彦大神と阿波忌部氏の祖の天日鷲命とされていた祭神を、明治以後は猿田彦大神と古伝に基づいた天太玉命としたが、『日本の神々』によれば、山口定実が忌部氏祖神説の傾向をさらに発展させて唱えた「天日鷲命は阿波忌部の祖先であるから、(忌部神社は)忌部の社または地名により麻植の命と申すのに対して、(当社は)太祖天太玉命を祀って大麻比古神と申す」との説が、現在の大麻信仰の基礎となっているのだと言う。 同書では、神話において、天孫降臨に五伴緒の一人として随伴した天津神の天太玉命と、その行く手に現れた国津神の猿田彦大神は本来別系統の神であり、本質的には対立する関係の両神が同一社地に祀られている理由は必ずしも明らかではないと述べる一方で、猿田彦大神が祀られた事情を次のように推測している。 下立松原神社の忌部氏系図では大麻比古命は別名を津咋見命、その娘を千鹿江比売命としているが、この神性は「津咋霊(ツクイミ)」と「近江(チカエ)」でいずれも港に関係した名を負う神である。当社の場合、忌部氏勢力の衰退と共に津咋見命の性格が忘れ去られて行き、経済の発展と共にますます重要視されてきた港の神・交通の神としての機能が特に残ったものと考えられる。忌部氏が没落すると、室町時代に民間流行した庚申信仰により、巷の神・交通の神である猿田彦大神の神性が付会されたのであろう、としている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大麻比古神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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