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天保騒動(てんぽうそうどう)は、江戸時代後期の天保7年(1836年)8月に甲斐国で起こった百姓一揆。甲斐東部の郡内地方(都留郡)から発生し、国中地方へ波及し一国規模の騒動となった。別称に郡内騒動、甲斐一国騒動、甲州騒動。 == 天保騒動の背景 == 甲斐国は1724年(享保9年)に幕府直轄領(天領)化され、甲府町方を管轄する甲府勤番と三分代官による在方支配が行われていた〔天保騒動発生時の天保7年(1836年)においては、甲府勤番山手に戸田光紹(下総守)・追手永見為儔(伊勢守)、甲府代官は井上十左衛門、石和代官は西村貞太郎であるが未着任、市川代官は山口鉄五郎。甲斐一国を統治する人員は、勤番士三百数十人と代官手付・手代50余り。〕。 甲府盆地を抱く国中地方では近世に新田開発が進み穀倉地帯となり、国内で産出した米穀は甲府問屋仲間が統括し、一部は信濃国から移入された米穀とともに鰍沢河岸に集積され、富士川舟運を通じて江戸へ廻送された。一方、山間部である郡内地方の生業は耕作地が少ないことから山稼ぎや郡内織の生産など農間余業の依存が強く、必要な米穀は国中や相模国、駿河国からの移入に頼っていた。 寛政年間には甲府問屋仲間が弱体化し、鰍沢宿の米穀商が買い占めを行い廻米として移出される米穀が増加し、信濃から買付を行う商人も進出したため米価の高騰が発生していた。1833年(天保4年)には全国的にも冷夏による凶作のため米価高騰や飢饉が発生しており(天保飢饉)、冷夏の影響は郡内地方において深刻で、国中でも八代郡夏目原村(笛吹市御坂町)の百姓夏目家の日記〔「夏目家日記」『山梨県史』資料編所載〕では冷夏の影響を「五十年以来無覚之凶作」とし、天保騒動で打ちこわしの対象となる山梨郡万力筋熊野堂村の奥右衛門家ではこの頃既に打ちこわしの空気が発生しており、甲府町方でも世情不安が伝わり動揺が生じている。 信濃国高遠藩や同国諏訪藩では甲信国境に穀留番所を設置して他領への米穀流出を防止する穀留を行っており、甲斐側でも甲府勤番が代官触書を通じて穀留を行っているが、施策は不徹底であったため米価は一時的に安定したものの1835年(天保6年)には再び上昇し、高値傾向で推移していた。郡内地方では文化年間の織物不況による打撃を受けていたが、そこに天保飢饉の影響により谷村の米穀商が米穀の買付を行ったため米価高騰が発生し、同じく社会不安が広まっていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天保騒動」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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