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天台智ギ : ミニ英和和英辞書
天台智ギ[てんだい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [てん]
 【名詞】 1. heaven 2. sky 
天台 : [てんだい]
 (n) Buddhist sect (fr. 8th C)
: [だい]
  1. (n,n-suf) (1) stand 2. rack 3. table 4. (2) support 5. (3) belt 6. (4) counter for machines, incl. vehicles 

天台智ギ ( リダイレクト:智ギ ) : ウィキペディア日本語版
智ギ[ちぎ]

(ちぎ、Zhi-yi)(538-597) は、中国僧侶天台宗の実質的な開祖であるが、慧文慧思に次いで第三祖とされている(龍樹を開祖とし慧文を第二、慧思を第三、智を第四祖とする場合もある)。智者大師ともいう。
== 事績 ==
潁川の陳氏として、草州華容(湖南省華容県)に生まれた。18歳で出家し、天嘉元年(560年光州大蘇山で慧思に学ぶ。
光大2年(568年)から7年間、金陵瓦官寺で『法華経』や『大智度論』を講義。
太建7年(575年)からは浙江省天台山に登って天台教学を確立した。南朝の同族であるため、皇帝や貴族層からの信任が厚く、要請により、至徳2年(584年)再び金陵に出て、光宅寺で『法華文句』を講義した。
陳末の兵乱を廬山に避け、開皇11年(591年の晋王であった楊広(のちの煬帝)の懇請で晋王に菩薩戒、「總持」の法名を授け、晋王から「智者大師(だいし)」の号を賜わった。また、三論宗の嘉祥大師吉蔵とも交遊した。
その後、荊州玉泉寺を開創して『法華玄義』、『法華文句』、『摩訶止観』の天台三大部を講義した。ほかにも『観音玄義』、『観音義疏』、『金光明玄義』、『金光明文句』、『観無量寿経疏』の天台五小部を講義した。いずれも弟子章安灌頂により筆録される。

10年ぶりに天台山に帰り、国清寺を修復して教団の生活規定を制定した。晋王楊広の要請で『維摩経疏』を著述し、揚州に向かう途中、(597年)西門石城寺で入滅。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「智ギ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Zhiyi 」があります。




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