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天地丸(てんちまる)とは、江戸幕府が将軍の御座船として保有した関船である。江戸時代初期に竣工後、幕末まで200年以上に亘って使用された。 == 解説 == 江戸時代の日本では、1609年に出された大船建造禁止令によって、諸大名の大型軍船保有は制限されていた。そのため、各藩は大型の安宅船を廃止し、中型艦である関船を水軍の主力とした。平和が長期にわたって続いたこともあって、これらの関船は、実用軍艦よりも大名のヨットである御座船としての性格が強く、華麗な装飾が施され、参勤交代時などに用いられていた〔石井(1995年)、128頁。〕。 こうした中で幕府自身も同様の御座船として建造したのが「天地丸」である。船手頭の向井忠勝(向井将監)を責任者として建造された。1630年8月3日(寛永7年6月25日)に時の将軍の徳川家光により試乗が行われ、優秀な性能と認められた〔石井(2002年)、34-35頁。(石井執筆)〕。 「天地丸」は16反帆、小艪76挺立の江戸期の典型的な大型関船であった。要目は上口長93尺(28.2m)・肩幅23.72尺(7.19m)・深さ6.3尺(1.9m)〔、あるいは全長34m・肩幅7.6m〔日本海事科学振興財団 「御座船“天地丸”」〕。これは各藩に許された大型軍船の上限である500石積みとちょうど同規模で、推定排水量は約100トンである。巡航速力3.1ノット、最大速度6.8ノットで航行できたと推定される〔石井(1995年)、21頁。〕。やや喫水が浅い設計で、幕府の艦船格納庫(御船蔵)があった隅田川の水深を考慮したためと考えられる〔。上部構造は船体の全長に亘って屋根風に甲板が張られた総矢倉造りで、中央には2階建の屋形が設けられて一段高くなっていたが、船尾に艫矢倉が無いのは大型関船としては珍しい。朱塗りに金メッキが施されたきらびやかな外観だった。 「天地丸」は、大規模な修理を重ねながら幕末に至るまで使用された。江戸時代後期にあっては、幕府の保有する最大の軍船であった。幕府ははるかに大型の「安宅丸」なども建造していたのであるが、平和な時代が続くうちに廃船としたため、「天地丸」が最大艦の地位を占めるに至ったのである。しかし、大修理を経たとはいえ旧式化は否めず、発展を続けた西洋式軍艦に対抗できる性能は無かった。黒船来航後、西洋式の幕府海軍の整備が進められる中で、1862年(文久2年)に在来型水軍である船手組は洋式の軍艦組に編入され、「天地丸」をはじめとする関船や小早は全廃となった。廃船となった後も「天地丸」は船蔵で保管され、幕府崩壊後の1874年(明治7年)以降に解体された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天地丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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