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天方城(あまがたじょう)は、遠江国(現在の静岡県周智郡森町向天方)にあった日本の城。山城。天方城は、太田川に沿って静岡県道58号袋井春野線を北上すると、森町市街地(城下から向天方)辺から北東に聳える城山(比高250m)にあった。 武田信玄と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げた。 == 歴史 == === 天方本城 === 応永年間 (1394年 - 1427年)、山内対馬守道美が築城した。これを天方本城 (静岡県森町大鳥居にあったとされる城) と言う。 天方氏が飯田荘の地頭であった首藤山内氏から分かれたものであり、14世紀後半 (南北朝後期 - 室町初期) に山内豊後守通秀が天方城に住し、天方氏を称したとする。天方氏は、天方九カ村を支配し南周南一帯に勢力を伸ばしていた。 数代を経た明応三年 (1494年) 、当主通季のとき、今川氏親は中遠の原氏討伐のために後の北条早雲 (伊勢新九郎盛時) を大将とする大軍を進攻させてきた。今川軍は中遠三郡である佐野郡、山名郡、周智郡(現在の掛川市、袋井市、森町周辺)を席捲し城主の通季は、今川氏に降った。文亀元年 (1501年) 、遠江守護の斯波氏は信濃の小笠原氏と連合して今川氏に対する反撃の行動に出た。この時の戦場となったのが座王 (久野) 城と天方本城であった。通季は斯波の大軍襲来の前に城を捨てて今川方に身を寄せた。その後、今川方の武将、本間宗季らとともに城を奪還している。 戦後、堅固な城の必要性を痛感した通季は城の南側に新たな城 (白山城) を築いた。 その後、遠江は今川氏の支配するところとなり、平穏な時期が続いた。通季は道芬と号し、上京して和歌、連歌に興味を寄せたことでも知られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天方城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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