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天正(てんしょう)は、日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。 == 改元 == * 元亀4年7月28日(ユリウス暦1573年8月25日) 戦乱などの災異のため改元 * 天正20年12月8日(グレゴリオ暦1593年1月10日、ユリウス暦1592年12月31日) 文禄に改元 足利義昭を京都から追放した織田信長が、公卿や朝廷を通じて改元させることに成功したと言われ、『お湯殿上日記』元亀4年7月21日条(義昭追放の3日後・改元の7日前)にも、信長から改元の奏請があったことが記されている。ただし、朝廷では改元についての議論が既にその1年以上前から行われており、『お湯殿上日記』元亀3年3月29日条には改元の発議を知らせる使者が信長と義昭の元に派遣されていることが記されている。だが、「元亀」改元を奏請したとされている足利義昭はこれに反発して改元にかかる経費の拠出を拒み(『お湯殿上日記』元亀3年4月20日条)、9月に信長が義昭を非難するために作成した『異見十七ヶ条』でも批判の対象とされている。また、年号勘文はすでに元亀3年11月11日付で作成されている。なお、改元時に朝廷では信長に勘文を見せてその意向に応じて元号を「天正」と定めており、信長が武家政権の長として改元に容喙した事実は織田政権の開始を象徴する出来事であった。反面、改元の実施日や元号の実質的な選考作業と言える勘文の作成に信長が関与した事実は確認できず、あくまでも朝廷の意向を尊重するという形式を取った改元であった〔神田裕理『戦国・織豊期の朝廷と公家社会』(校倉書房、2011年) ISBN 978-4-7517-4300-3 第一部第一章「織豊期の改元」〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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