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天水山 正則(てんすいやま まさのり、本名:池田 正則(いけだ まさのり)、1940年12月8日- )は、熊本県玉名郡天水町(現・同県玉名市)出身で、1960年代半ばに活躍した大相撲力士。伊勢ヶ濱部屋(入門時は荒磯部屋)に所属していた。最高位は西前頭10枚目(1965年7月場所、1967年7月場所)。現役時代の体格は176cm、128kg。得意手は左四つ、寄り、押し。 == 来歴・人物 == 中学校を卒業後、上京し、元横綱・照國が開いた荒磯部屋(のち、伊勢ヶ濱部屋に改称)へ入門。1956年5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の関脇・海乃山や前頭筆頭の大雄などがいる。 同年9月、故郷の地名に因んだ「天水山」の四股名で序ノ口に付いた(その後、本名の「池田」に改名した時期もあったが、すぐに元の「天水山」へ戻している)。 三段目までは順調に昇進したが、1958年9月場所からは4年10ヶ月もの間、幕下に在った。1963年5月場所では7戦全勝という好成績を挙げて幕下優勝を遂げ、翌場所、22歳で新十両に昇進。以降は、十両に定着した。 その後漸くは十両中下位を往復する時期が続いたが、西十両4枚目で迎えた1965年3月場所では12勝3敗と大勝ちし、十両優勝を果たした。そして、これを手土産に翌5月場所、24歳で入幕した。 左四つからの寄りを得意としたが、その取り口が幕内ではなかなか通用せず、幕内での勝ち越しは1場所のみ(新入幕時の8勝7敗。場所前より虫垂炎に罹り、薬で痛みを散らしながら成した勝ち越しであった)に終わっている。 1967年11月場所を最後に幕内から遠ざかり、その後十両からも転落。西幕下4枚目の地位で途中休場した1968年9月場所を以って、27歳の若さで廃業した。 廃業後は、住友金属に勤務。同社の相撲部の指導にも当たっていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天水山正則」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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