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天満本願寺(てんまほんがんじ)は、現在の大阪府大阪市北区天満にかつて存在した浄土真宗の寺院、本願寺である。中島本願寺、川崎本願寺とも呼ばれる。 ==概要== 1580年(天正8年)に石山合戦の講和が成ると、本願寺は摂津国石山本願寺を織田信長に明け渡して南へ退去し、紀伊国鷺森本願寺、次いで和泉国貝塚本願寺を本拠としていた。 信長の後継者となり、大坂城下の整備に取り掛かっていた豊臣秀吉は、1585年(天正13年)に大川を挟んで石山の北に位置する天満へ顕如を呼び戻し、寺地を寄進して当寺を造営した。天満本願寺は大川に面し、現在の造幣局のあたりに位置しており、西側に寺内町が形成された。大川対岸の大坂城下とは別の町として扱われていたこの寺内町は、大坂城下が幕府直轄地となる1619年(元和5年)頃から大坂城下の一部とみなされるようにになり、のちに大坂三郷と呼ばれる町組のひとつとなって発展した天満市街地の基になったと見られている。 本願寺は1591年(天正19年)に秀吉から京都堀川六条の現在地に寺地を寄進されて移転した。天満本願寺の跡地には、東西分裂後の1601年(慶長6年)に東本願寺天満別院が置かれたが、1608年(慶長13年)に東天満1丁目の現在地へ移転された。大坂の陣後の1616年(元和2年)には川崎東照宮が創建されたが、1873年(明治6年)に廃社となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天満本願寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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