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天理大学ラグビー部(てんりだいがくラグビーぶ、Tenri University Rugby Football Club)は、関西大学ラグビーリーグ戦のAリーグに所属する天理大学のラグビー部。 == 歴史 == 大正14年(1925年)、前身である天理外国語学校が開校した年の6月に創部。二代真柱中山正善は、創部間もなくオールブラックのユニフォーム、パンツ、ストッキングを15組、シルコックのボール1ダースを寄贈するとともに、大阪高等学校の現役陣をコーチに招いた。揺籃期を経て、昭和4年~19年の台頭期に、日本ラグビーフットボール協会主催の全国高専ラグビー大会大阪奈良地区予選に8度優勝し、本大会に駒を進めている。 戦後、ラグビー部が復活したのは昭和21年(1946年)であったが、昭和24年の学制改革による新制大学への移行がスムーズにいかず、苦難な時代を送る。昭和30年、大学に体育学部が設置され、優秀な人材が入部し、発展の原動力となった。昭和34年、37年には、全国大学ラグビー大会(現全国地区対抗大学ラグビーフットボール大会)の近畿地区代表となり、さらに38年には、前年に組織された関西大学ラグビーリーグのAリーグに参加することになった。昭和40年より全国大学ラグビー選手権大会が開催され、8校(現在は16校)によって覇権が争われた。部の目標は、関西Aリーグ優勝および全国制覇におかれた。昭和45年には、創部以来の念願であった常勝同志社大学を倒し、関西Aリーグにおいて全勝で初優勝(写真)。その後、昭和48年、49年と関西リーグ優勝を飾る。また49年、ニュージーランドのカンタベリー大学と国際親善試合を行い、14対38で敗れはしたが、大きな収穫があった。 昭和50年、全勝で関西Aリーグ3年連続4度目の優勝を果たしたが、全国大学選手権大会では1回戦で慶應大学に惜敗、その後、昭和59年度には関西リーグ2位ながらフォワードとバックスのバランスが良く、大学選手権1回戦で専修大学と対戦、12対7の接戦で初戦突破、天理ラガーが初めて国立競技場の土を踏むこととなった。 しかし、昭和60年、関西Aリーグ3位を境に、チームは年毎に下降線を辿り、平成3年ついにBリーグへ、さらに翌4年にはCリーグへ転落した。 翌5年にはBリーグに復帰するも、長年Aリーグの壁に阻まれ続けていたが、ついに平成13年12月、関西大学リーグ入れ替え戦にてAリーグ7位の摂南大学を22対12で破り、念願であったAリーグ復帰が決定した。 その後、平成17年には21年ぶりに大学選手権に出場、平成22年には念願であった関西Aリーグ制覇を35年ぶりに達成した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天理大学ラグビー部」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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