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天童如浄(てんどうにょじょう、1163年(隆興元年) - 1228年(紹定元年))は、中国・宋の曹洞宗の禅僧である。天童山景徳寺(浙江省寧波地区)の第31世住職を務めた。『如浄禅師語録』が伝えられる〔禅籍データベース:禅籍の部:語録:如浄禅師語録(IRIZ) 〕。日本曹洞宗の開祖道元が師事したことで知られる。 == 人物略歴 == 洞山良价の流れを汲む雪竇智鑑の法を継ぎ、当時中国の禅宗で主流を占めた臨済宗大慧派とは対照的に、名利を超越した禅僧だったといわれる。曹洞禅は黙照禅ともいい、公案中心の臨済禅に対し、ひたすら禅に打ち込むことによって内面の自在な境地を体得しようというものであった〔村上(1981)pp.95-98]]〕〔このような曹洞宗の主張や立場を「只管打坐」と呼称する。〕。 如浄は、無際了派の没後の1224年に天童山景徳寺の住職となった。渡宋した道元は1225年から帰国する1227年まで如浄の元で学んでおり、如浄は1225年の夏安居の期間に大悟した道元に印可を授けている。道元は如浄の教えにしたがい、権勢より離れ、世俗化した当時の仏教については根本からこれを批判し、仏陀本来の精神に立ち帰ることを唱えた〔網野(1997)pp.137-140]]〕。こうして、如浄の教えは、道元による日本曹洞宗の開宗にあたってその基礎の形成に大きな役割をになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天童如浄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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