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天童寺(てんどうじ)は、「天童禅寺」とも呼ばれ、「東南佛國」とも称される、著名な禅宗の寺院である。禅宗五山の第二に列されている。浙江省寧波市鄞州区にあり、太白山の麓に位置し、山に依り、水に臨む、勝景の地にある。天童寺と日本の仏教の関係は深く、日本の曹洞宗は、天童寺を祖庭としている。 1983年、国務院は、漢族地区仏教全国重点地域に指定している。 2006年には、国家重要文物保護単位となった。 ==歴史== 天童寺は、晋の永康元年(300年)に創建された。遊行僧義興が建てたと言われている。 唐朝の初年、現在の位置に移った。 唐の乾元2年(759年)、唐粛宗から「天童玲瓏寺」の名を賜った。 唐の咸通10年(869年)、唐懿宗から、「天寿寺」の名を賜った。 宋の景徳4年(1007年)、宋真宗から「天童景徳禅寺」の額を賜った。 宋の宣和7年(1125年)、曹洞宗第十三祖の如浄禅師が住職になった。ちょうど、日本から道元が来朝しており、天童寺で修行していた。帰国後、日本で曹洞宗を開いた。 宋の建炎3年(1129年)、正覚禅師が住職になった。 宋の紹興4年(1134年)、東南の第一大殿を増築した。 宋の淳熙5年(1178年)、宋の孝宗から、「太白名山」の四字を賜った。 宋の嘉定年間、天童寺は、「禅院五山十刹」の第三山に列っせられた。 明の朱元璋は天下名寺を冊封し、天童禅寺を天下禅宗五山の第二山に列した。 万暦15年(1587年)7月21日、大雨と洪水によりことごとく破壊され、礎石や瓦礫すら残らない有様であった〔『天童寺志』巻之2、建置攷下、明、万暦15年7月21日条〕。 清の雍正帝は、「慈雲密布」の扁額を賜った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天童寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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