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天野安喜子 : ミニ英和和英辞書
天野安喜子[あまの あきこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [てん]
 【名詞】 1. heaven 2. sky 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

天野安喜子 : ウィキペディア日本語版
天野安喜子[あまの あきこ]

天野 安喜子(あまの あきこ、1970年10月31日 - )は、東京都江戸川区出身の女性花火師で鍵屋15代目宗家。元柔道選手国際柔道連盟審判員の資格を持つ。段位は六段。全日本柔道連盟審判委員会副委員長および講道館評議員を務める〔初の女性評議員が誕生 柔道・講道館が選任 産経新聞 2014年6月26日閲覧〕。日本大学芸術学研究科芸術専攻博士後期課程修了。博士(芸術学)〔ハリマ化成グループ:No.26 天野安喜子さん 〕。
== 選手とし て==
柔道は小学校1年の時に父親が自宅に富道館天野道場を開設したことがきっかけで、姉と共に始めた。その後、共立女子中学に進むが、「お嬢様学校」と言われるだけあって柔道とは全く関わりあいのない学校だったために、大会に出場できるように名前だけの柔道部を設置してもらった。この頃は講道館でもよく稽古を行った。また、父親がプレハブ小屋ウェイトトレーニング場を設置したこともあって、そこでよくウェイトトレーニングを積んでいた。さらに、妹が自転車で伴走する走り込みにも熱心に取り組んだ。中学3年の5月には強化選手選考会48kg級で3位に入ったことで強化指定選手となり、当時女子ヘッドコーチだった柳澤久の指導も受けることになった〔--女花火師-- 〕〔天野安喜子 国際A級審判員インタビュー 〕〔「道場紀行 富道館天野道場」近代柔道 ベースボールマガジン社、2009年2月号〕。
共立女子高校1年の7月に東京都代表で出場した団体戦の全日本女子柔道大会では決勝まで勝ち上がり、茨城県代表で1階級上の52kg級世界チャンピオンである山口香と先鋒戦で対戦することになった。そこで山口対策として練習を積み重ねてきた相手得意の小内刈を外して背負投に入るという一連の動作が、開始僅か10秒でものの見事に決まって一本勝ちを収めた。本人はこの時素直に、「天野安喜子ってすごい」と思ったという。この一戦を制したことで勢い付いた東京都がその後の3試合も勝って優勝を飾った。国内の大会では連勝街道を突き進んでいた山口が日本選手に敗れたのは、第1回の体重別選手権で優勝して以来初めての事であった。なお今回の勝利によって、1つ年下でこの年の世界選手権で中学生ながら2位となる信州大付属松本中学3年の江崎史子や、同じ年で後に世界選手権52kg級で3位となる川越女子高校1年の鈴木若葉とともに、48kg級期待の若手として大いに注目を集めることになった〔〔。
9月の体重別選手権では準決勝で江崎に横四方固で敗れて3位だった。10月の強化選手選考会では決勝で日本電気の青木広恵に敗れて2位だった。12月には福岡国際に出場すると、準決勝で世界チャンピオンであるイギリスのカレン・ブリッグス崩上四方固で敗れるも、3位決定戦で青木を判定で破り3位入賞を果たした。後に「早いんですけど、ここがピークでしたね」と述懐している〔。
翌年3月には全国高校選手権に出場するも、初戦で旭川南高校の長谷山真澄に判定で敗れた。優勝を期待されながら格下の高校生にあっけなく敗れたことで、今まで応援してきた周囲から掌を返すように「もう柔道やめなよ」「大会に出て恥ずかしくないのか」などと誹謗されることになり、社会の厳しさを知ることになった。さらには、高校生としてやるせない気持ちをどこにもぶつけられず、精神的な苦しみも味わうことになった〔。
2年の6月には全日本女子柔道大会に昨年同様に東京都代表で出場して、決勝まで勝ち上がり再び茨城県チームと対戦するが、今回は山口に体落で有効を取られて敗れた。しかし、その後東京都は2勝して今大会2連覇を飾った。9月の体重別選手権では階級を52kg級に上げて出場すると、準決勝で浜松西高校1年の溝口紀子に判定で敗れたが3位となった。10月の強化選手選考会では国際武道大学の池田光恵を破って優勝を飾った。12月の福岡国際では初戦で元世界チャンピオンであるオーストリアのエーディト・フロバットに敗れた。高校3年の10月には昨年に続いて体重別選手権で3位になった〔
1989年には日本大学に入学した。柔道部の女子部員は自分一人だけだったので、最初はもてはやされるのではないかと思っていたが、甘い考えであると悟った。練習相手は部の男子マネージャーだったという。家業が花火屋であり、父親の運営する道場も男子が多い男社会で育ってきたので小さい頃から男子の中に入っていくこと自体は抵抗がなかったものの、それでも体育会系の柔道部というものには何とも言い知れぬ異文化を感じたという。2年になると、後輩となる女子選手が数名入学してきたのできちんとした練習相手もできた。さらに強化選手選考会では56kg級で3位に入った。しかし、その後は大きな実績を上げることができず、大学を卒業すると引退することになった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「天野安喜子」の詳細全文を読む




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