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太伯 ( リダイレクト:太伯・虞仲 ) : ウィキペディア日本語版
太伯・虞仲[たいはく]

太伯(たいはく)・虞仲(ぐちゅう)は、中国王朝の古公亶父の子で兄弟。后稷を始祖とすることから、宗家と同じ(き)。紀元前12世紀紀元前11世紀頃の人物。二人とも季歴の兄、文王の伯父に当たる。
太伯は長男で、(句呉)の祖とされる人物。泰伯とも。
虞仲(ぐちゅう)は次男。仲雍、呉仲とも〔『史記』「周本紀」では弟が虞仲とあるが、「呉世家」では仲雍とあり、『呉越春秋』呉太伯伝では一名呉仲とある。〕。
== 経歴 ==
古公亶父には長子・太伯、次子・虞仲、末子・季歴がいた。季歴が生まれる際に様々な瑞祥があり、さらに季歴の子の昌(文王)が優れた子であったので、古公亶父は「わが家を興すのは昌であろうか」と言っていた。
父の意を量った太伯と虞仲は、季歴に後を継がせるため荊蛮の地へと自ら出奔した。後になって周の者が二人を迎えに来たが、二人は髪を切り全身に刺青を彫って、自分たちは中華へ帰るに相応しくない人物だとしてこれを断った。
太伯は句呉(こうご)と号して国を興し、荊蛮の人々は多くこれに従った。この国は呉ともいわれる。太伯が死んだとき子がいなかったため、弟の虞仲(仲雍)が跡を継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Taibo of Wu 」があります。




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