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大刀光 電右エ門(たちひかり でんえもん、1963年9月12日 - )は、千葉県千葉市出身の元大相撲力士、プロレスラー。本名は河原 修(かわはら おさむ)。 == 来歴 == === 大相撲力士時代 === 1963年9月12日に千葉県千葉市で、母親がスナックを経営している家に三男として生まれる。小学校高学年では少年野球で速球派投手として活躍していたが、花園中学校では一転してバレーボール・サッカーなど様々な球技を行っていた。中学校時代のある日、教師から半ば強引に参加を誘われた相撲の全国大会へ出場するなど、次第に相撲を始めるようになった。 安田学園高等学校進学後は相撲部に所属し、1年先輩である寺尾常史から稽古を付けられていたが、寺尾が2年生で中退したことで河原も1年生の11月に中途退学、スナックを廃業した母親が勤務する千葉畜産工業に就職した。この時点で相撲とは縁を切っていたが、職場に出入りしてた千葉県経済連合の人物が友綱の友人だったことで、彼が出入りしていた1年間に渡って入門を勧められ、最後は説得されて友綱部屋へ入門した。 1982年1月場所において初土俵を踏む。四股名は当初は本名の「河原」だったが、師匠・友綱から出世を大いに期待されたことから、大正時代に同じ友綱部屋から初土俵を踏んだ大関・太刀光電右エ門の四股名を与えられた(のちに姓名診断を行ってもらった母親の勧めで「大刀光電右エ門」と改名)。1988年7月場所で新十両に昇進し、十両で一進一退を続けた後に1992年7月場所で新入幕を果たした。長身で厳つい容貌と長い揉み上げがトレードマークで、長身を生かした右四つからの上手投げは豪快かつ威力があり「大刀光スペシャル」「電右エ門スペシャル」と称された。上手投げだけでなく下手投げも強かったが、取り口が非常に大雑把で立ち合いの厳しさに欠けており、肩越しに上手を取ってから相手を振り回したり、土俵際での波離間投げなど逆襲・逆転に頼る相撲は幕内で一切通用せず、幕内在位は最終的にこの1場所で終わった。 十両陥落も逆襲に頼り切る相撲は、次第に相手に「土俵際で注意せよ」と思われたように取り口を完全に研究、覚えられて一度も勝ち越すことが出来ず、1994年1月場所では西幕下29枚目で0勝7敗と全敗を喫したのを最後に現役を引退、日本相撲協会を廃業した。 〔大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大刀光電右エ門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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